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写真で追い続けた7年半

社会

公開:2019年3月14日

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2011年11月、宮城県気仙沼市で撮影された1枚=江成さん提供
2011年11月、宮城県気仙沼市で撮影された1枚=江成さん提供

 「目の前の光景を、現実を、忠実に写し取り記憶に留める。それが写真の持つ力」。客観性よりも自分自身のまなざしで対象と向き合い、写真を通して移りゆく時代と社会を表現してきた。長年こだわってきたテーマである「戦争」に通ずるものがある、と、東日本大震災の被災地で撮影を始めたのは2011年4月のことだ。「時代を見つめ、次の時代を考えるよすがになる。誰かがやらなければ」。そんな信念のもと、昨年9月まで7年半に渡り毎年現地での撮影を継続。岩手、宮城、福島の3県を訪れ、被災直後だけでなくその後の変化を追い続けた。11日、150点の作品を収めた写真集『After the TSUNAMI 東日本大震災』(冬青社)を刊行。「歴史を踏まえ、未来に向けた礎になれば」と願いを込める。

 初めて現地を訪れたのは東北新幹線復旧後の4月30日。災害救助活動にあたる知人を頼って仙台市に入り、被災状況を目の当たりにした。今も鮮明に記憶するのは、名取市閖上地区一帯を見渡せる、小高い日和山に登ったときの光景。見渡す限りがれきや家屋の残骸が広がり「まるで廃墟」。まちが根こそぎ流され、船が内陸まで達するなど津波の爪痕が生々しく残っていた。「神も仏もない。見たこともない災害現場だった」。写真家として残しておかなければ、という使命感を持つ一方、カメラを持つときには、亡くなった人たちへの鎮魂の思いが湧いた。「取材するということは人の世界に分け入り、プライバシーに踏み込むということ。そういう気持ちを忘れてはいけない」

◇◇

 散乱していたがれきは一つひとつ取り除かれ、1カ所に集められて山ができ、のちに片付けられて何もない平原になる。人のいない廃屋が残るなか、一方ではかさ上げ工事が始まり、防潮堤ができ、かつてとは違う風景に変わる。7年半、自身の足で歩き、こうした変化をカメラに収めてきた。

 今思うのは、岩手・宮城と福島との復興の差だ。原発事故の影響で、福島県内ではまだ放射線量が高い地域があり、立ち入りの制限が続く。「(原発至近の)双葉、浪江、大熊町は特に、年々差が開いている」。いつ帰れるともわからない不自由を強いられる人が、元の生活に戻れる日は来るのか。一方、かさ上げが進んだところで、将来どれだけ役に立つのか。シャッターを切りながら湧いてくる疑問を、メッセージとして写真に込める。「復興工事が、被災した人の救済につながることを願っている。元気なうちは見つめ続けたい」

江成 常夫さん1936年生まれ、写真家。田名在住。毎日新聞社で12年報道カメラマンとして勤めたのちに独立。「昭和」と「戦争」をテーマに表現活動を続ける。
江成 常夫さん1936年生まれ、写真家。田名在住。毎日新聞社で12年報道カメラマンとして勤めたのちに独立。「昭和」と「戦争」をテーマに表現活動を続ける。

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