大船渡駅前の商業施設・キャッセン大船渡の一角で大衆居酒屋「海山(かいざん)酒場」とイタリアンバル「ノイ・マーレ」の2店舗の店長を務める細谷春樹さん(41)。コロナで苦境に立ち、そして突然訪れた、店のオーナーだった同士との別れ。それでも失意を乗り越え、今年2月に再オープンを果たす。復興に向け皆が全力を尽くしていた震災後と同じように、再出発は大船渡を盛り上げていきたい一心で決意した。
震災時は、勤務していた隣市の陸前高田市にあるラーメン店で昼間の営業中だった。まかないの支度をしようとしたところで激震が襲う。立っていられず、外に出ると車も電柱も揺れていた。車で高台に逃げて無事だったが、家族と連絡が取れたのは約1カ月後。「生きていてくれと願うしかなかった」と回想する。
震災から2年ほど経つと大船渡駅前にプレハブ横丁や屋台村の仮設店舗が立つようになり、徐々に活気を取り戻していく。海山酒場で働くようになったのもこの頃。当時は復旧工事などで多くの作業員が現場に集まり、店は地元住民も含め連日のようににぎわい、閉店時間だった朝5時まで残る客の姿も少なくなかった。
その海山酒場のオーナーを務めていたのが、大船渡町生まれの新沼崇久さん。新沼さんは店を見守りつつ、イベントなどで大船渡全体の盛り上げに一役買う人物だった。海山の一員として共に汗を流しながら、「新沼さんの思いに付いていこうと必死だった」
店の盛況ぶりを、少しずつ活気を取り戻していく大船渡の復興に重ね合わせていたが、コロナ禍によって暗転する。地元住民らは外出を自粛するようになり、客足は遠のいていった。テイクアウトにも乗り出し、客が来ない時間を新メニューの考案にあてることも。だが、目立った打開策を打ち出せず、もどかしい日々が続いていた。
突然の不幸乗り越え
そこに追い打ちをかけたのが、これまで二人三脚で店を支えてきた新沼さんの急逝。昨年6月の事故だった。享年50。亡くなる数時間前までメニューについて話していた矢先で「ウソでしょって。とても信じられなかった」と振り返る。
不安に押しつぶされそうになる中でも再出発へと向かわせたのは、新沼さんの店の名を残したい、ただその思いだけだった。客からの「キャッセンで海山の明かりがなかったら寂しい」との声も自身を突き動かした。社員、バイトを合わせ4人での船出。2月11日、オープンの日を震災の月命日に決めた。仕込みから何から切り盛りは大変だが、「皆がよく頑張ってくれている」と感謝を口にする。
コロナ前と比べたら現状は厳しいが、「これ以下はないという思い」と前を向く。コロナの状況が好転すれば、新沼さんが得意としたイベント攻勢で、大船渡を盛り上げていくつもりだ。「新沼の名前を借りてまた皆で何かできたら」と展望し、「とにかく大船渡に明るいニュースを届けたい」と意気込む。
実は相模原には商店街のイベントで何度も訪れ、サンマを焼いていたことも。「相模原の皆さんから呼ばれれば、いつでも行く。良いイベントを作り盛り上がりましょう」。そう遠くない将来、相模原の地でサンマの煙にいぶされながら、笑い合えるときが来るのを心待ちにしている。
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