1年後に迫った東京五輪。1964年に続きセーリング競技が開催される藤沢市にも、およそ半世紀ぶりにスポーツの祭典がやってくる。前回大会で聖火リレー走者を務めた、関水正章さん(73)も大会を心待ちにする一人だ。江の島大橋を駆けた青春時代を振り返り、「五輪の感動を、多くの人に感じてもらいたい」と話す。
《藤沢市内において行われますオリンピック東京大会聖火分火リレーの走者に貴殿を委嘱いたします》
「ガリ版(謄写版)だよ。今と違ってコピー機がないからね」。55年前に届いた便箋を取り出しながら、関水さんは当時を振り返る。
大会実行委から正式に走者を委嘱されたのは、五輪開幕およそ1カ月前の9月。64年大会では聖火を分け、4つのコースで全国を回った。自身が任されたのは、相模工業大学(現・湘南工科大学)から江の島までの5区間のうち、第4区間。江の島大橋を走って最終区に聖火をつなぐ大役だった。
当時日本大学工学部に通う19歳。家族揃ってのスポーツマン家系で、父の正文さんは陸上競技審判員として同年の東京五輪にも携わった。
陸上経験は中学までだったものの、体力には自身があったという関水さん。不思議と緊張はなかったが「トーチを下げちゃいけないし、走るのが早すぎても遅すぎてもいけない。結構苦労したよ」。本町小学校で行われた練習会ではフォームを入念に確認した。
大群衆に見守られ
当日の光景は今も鮮明だ。江の島大橋を埋め尽くす大群衆。日の丸と五輪のエンブレムが描かれたユニフォームを着て無心で1・2Kmを走り切った。無事最終走者にトーチを託し「ようやく肩の荷が下りた」。夕暮れの中、颯爽と江の島大橋を駆ける姿は美しく、いまだにテレビで放送されることも多い。
現在は鵠沼石上で営む関水スポーツ店で卓球売り場を担当。店に足を運ぶ子どもたちから、試合の結果を聞くのが密かな楽しみだ。近年、若手日本人選手による活躍で、卓球は競技人口が急増している。「ひと昔前まで卓球はマイナー競技だったが今や人気スポーツ。新しい価値観に光を当てる。五輪には、そういう力があると思う」と関水さん。
また五輪はスポーツの祭典だけでなく「平和の祭典」とも言われる。「政治で対立する国同士でも、選手が一緒に競技に打ち込むことで名場面が生まれる。スポーツの尊さを再確認させてくれる最たるものが五輪。最高の感動を多くの人に肌で感じてもらいたい」。そう言ってほほ笑んだ。
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