「子どもたちに思い切り試合させてあげたい。力を貸してもらえないか」。藤沢工科高サッカー部顧問の浜辺恵一教諭に打診があったのは2012年夏。電話の相手はかつて別の学校で同僚だった、宮城県気仙沼市の本吉響(もとよしひびき)高の三浦智教諭。交流試合の話が持ち上がり、近隣校に声をかけると日大藤沢高と藤沢清流高が参加を申し出てくれた。
本吉響高は気仙沼市の南部、本吉町津谷桜子地区にあり、海までは3キロほど。高台にあるため津波の被害は免れた。しかし震災直後、体育館は遺体安置所として使用されるなど、部活どころではない日々が続いた。生徒の多くが被災、家や家族を失い今も仮設住宅で生活を送る子どももいる。学校行事なども再開し、現在は元の生活に一歩ずつ近づいているが、「気仙沼市内では被災して使えないグラウンドも多い。交通の足も限られているため対外試合には難しい状況がある」という。
交流試合は3月24日。本吉響の選手13人は気仙沼からバスで8時間かけ前日に来藤した。試合当日は、午前中に日藤高グラウンドで日藤と対戦。普段目にする機会の少ない芝のグラウンドに興奮した様子の選手たち。気仙沼ではまだ雪が残っているため、今期初の対外試合だった。午後に藤沢工科高に移動し、藤沢清流と藤沢工科と試合を行った。1日3試合の日程にも本吉響イレブンは疲れも見せずのびのびとプレーを楽しんだ。
「津波でアルバムが流されてしまった子も多かった。遠征が良い思い出になってくれれば」と三浦教諭。試合の写真はCD-Rなどにまとめて渡す予定だ。「今回は3連敗。神奈川の高いレベルに触れ、選手たちが上を目指すきっかけになれば」と前を向く。両校の交流は続いていく。
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