神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙

  • search
  • LINE
  • MailBan
  • X
  • Facebook
  • RSS
藤沢版 公開:2024年3月15日 エリアトップへ

東国の要衝としての峰「渡内」

社会

公開:2024年3月15日

  • X
  • LINE
  • hatena
二伝寺(写真上)、本在寺公園からの眺望
二伝寺(写真上)、本在寺公園からの眺望

 鎌倉市との境に位置する「渡内」は、江戸時代には「本村(ほんそん)」と「峯(みね)渡内」に分かれていた。市発行の「藤沢の地名」によると、合併したのは1852年。峯渡内はそれまで、隣接する玉縄村に入っていたという。

 峯渡内は現3丁目の日枝神社から二伝寺にかけての地区を差し、山地だった同地区を単に「峯」と呼ぶこともあったという。同寺の當間(たいま)浩昭住職(53)は「『峯』は地名であるとともに、この地域を治めていた福原家の屋号でもある」と説明する。

 福原家は15世紀、上杉禅秀の乱の際にこの地に移住し、以来豪族・名主として後北条氏や徳川氏に仕えた。19世紀には当主の福原高峯が、相模国内の歴史をまとめた「相中留恩記略(そうちゅうりゅうおんきりゃく)」を編纂したことで知られる。現在、同家の長屋門が市に寄付され、新林公園に移築されている。

 渡内を含む村岡地区は、相模へ侵攻する勢力に対する要害として平安時代から重要視されていた。二伝寺など周辺の寺は、後北条氏の玉縄城を守るとりでとして扱われた。同寺境内の北側の山から、右手に見える本在寺公園までが以前は峰として連なっていた。「ここからのろしを上げ、敵対する三浦氏に関する情報を同じ後北条方の大庭城に伝達していた」と當間住職は解説する。

 地域の開発が進んだのは1960年代。峰は大部分が切り崩され、宅地として整備された。「切り崩された土地は江の島の埋め立てなどに使われたという話を聞いている」と當間住職。寺を継いだ当初は、昔のことを知る地域の人たちが歴史を語っていた。「江戸時代以前の名残は失われつつある」と語る。

 歴史の痕跡は、残された山の地面の形状からしのばれる。「昔の人が要害として整備し、活動した跡が随所に見られる。里山の維持管理とともに、歴史を語り継ぐ意味でもこの峰を大切にしていきたい」

ふじさわ湘南ロータリークラブ

藤沢の子どもたちの成長を応援します

https://fujisawa-shonan-rotary.org/

タカギフーズ

子供たちの未来に笑顔と安心を

https://takagi-foods.com/

NPO法人紙芝居Project

日本の伝統文化紙芝居の発展へオリジナル紙芝居制作、紙芝居支援を

https://www.kamipro.info/

(公財)藤沢市みらい創造財団

笑顔あふれるみらいを応援します

https://f-mirai.jp/

<PR>

藤沢版のローカルニュース最新6

少年の森で稲作体験 

少年の森で稲作体験 

親子対象に17日まで募集

5月9日

40回目の定期演奏会

The尺八Man

40回目の定期演奏会

古典や鬼滅など9曲

5月9日

無印良品で絵本と出会い

無印良品で絵本と出会い

貸出サービス好評

5月9日

最優秀賞には10万円

最優秀賞には10万円

遊行の盆 参加者募集

5月8日

地元職人の技を伝授

地元職人の技を伝授

和菓子・ケーキ教室 参加者募集

5月7日

子どもら19人が堀さらい

子どもら19人が堀さらい

大庭稲荷  地元農家と共同作業

5月7日

㈱平和堂典礼

藤沢市辻堂神台2-2-41 0120-59-6999

https://heiwadou.com/sp/

<PR>

意見広告・議会報告政治の村

あっとほーむデスク

  • 5月3日0:00更新

  • 4月26日0:00更新

  • 4月19日0:00更新

藤沢版のあっとほーむデスク一覧へ

バックナンバー最新号:2024年5月9日号

もっと見る

閉じる

お問い合わせ

外部リンク

Twitter

Facebook