セーリングの世界選手権が5月9日にクロアチアで開催され、49er(フォーティーナイナー)級で高橋賢次(東海岸南在住・29歳)・牧野幸雄組(ともに関東自動車工業)が予選最終日22位に入った。これにより選考基準を満たし、ロンドン五輪日本代表に内定した。
セーリングは水上で風力を利用し、スピードと技術を競い合う競技。高橋・牧野組は同種目で決勝(25位以内)に進出し、五輪出場国枠を獲得。日本セーリング連盟が定めた基準を満たした。初の五輪代表を決めた高橋さんは「ずっとやり続けてきて結果が出せてものすごく嬉しい」と安堵の表情を見せる。一方で、決勝で23位となり、上位に食い込めなかったことにも言及。「状態が良かったのに、完全燃焼できなかった」と悔しさを滲ませる。7月27日(金)からはじまるロンドン五輪に向け「まだまだやるべきことはある。でも、まったく歯が立たないわけではない。表彰台、金メダルを狙っていきたい」と話していた。
セーリング49er級五輪代表・高橋賢次さん競技通じて得た「感謝」
「やったな。おめでとう」。世界選手権で五輪切符を手中にし、電話口で祝福の言葉を掛けられた。その人物はアテネ五輪の470級で銅メダルを獲得した轟(とどろき)賢二郎さんだ。
高橋さんは2008年、轟さんとパートナーを組み49er級で北京五輪を目指し、敗れた。「自分が出来なくて迷惑をかけたし、技術だけじゃなく人生のことも色々教わりました。本当に感謝しているんです」。当時、北京の代表切符を掴んだのは今回のパートナーとなる牧野幸雄さんらの組だった。五輪後、牧野さんが関東自動車工業に入社し、一緒にチームを組んだ。
49er級は2人乗りで、舵取り役を担う「スキッパー」とアクセル操作を行う「クルー」をそれぞれ担当する。2人の呼吸が合わなければ、思い通りの船運びは出来ない。クルーの高橋さんは「言葉を交わさなくても相手の思いが分かる。互いを高め合えるベストパートナーです」と牧野さんに全幅の信頼を置く。
「49er」に出会ったのは高校生の時。使用する船が全長4・99mであることから名づけられ、他のクラスよりも大きく、スピードも速い。セーリングの花形種目であり、青年はその魅力に惹かれていった。
「コツコツやる。その繰り返し」
以来、49erに乗り続けてきたが試行錯誤の繰り返し。「はじめは順風でも操作できなかった。異次元だったけど、刺激的で楽しいんですよ」と笑う。スピードがあるからこそ、操縦が困難。体幹トレーニングやバランストレーニングを徹底的に行うことで「船からの感覚がダイレクトに伝わるようになりました」と成長を実感する。現在、49er級で活動するチームは国内で高橋さんたちのみ。だが、日本に敵がいないからこそ、海外遠征が重要になってくるという。「向こうで課題を見つけ、持ち帰りコツコツやる。その繰り返し。だから、自分たちの練習でやれることは山ほどあるんです」。周りにライバルがいなくても常に向上心を忘れなかった。
家族のおかげ
家族は妻・葉子さんと子ども2人。2年前からセーリングに専念するため、葉子さんと子どもは葉子さんの実家・盛岡で暮らし、自身は実家の東海岸南に住んでいる。遠征後や短い休暇を利用して会いに行くが「別れ際に子どもに『バイバイ』って言っても、寂しがって何も言わないんですよ。胸が痛かったですね」。家族との時間を犠牲にして続けてきたセーリング。「奥さんには辛い思いをたくさんさせてきた。競技に専念できたのは家族のおかげ。感謝しているんです」。度々口にする「感謝」という言葉。「僕1人じゃここまでくることはできませんでしたからね。家族やこれまで一緒に乗ってくれた人たち、きっかけをくれた両親など全ての人に感謝ですよ」
5月29日(火)からはイギリスに遠征し、五輪本番の地で大会に臨む。「あそこは風が強い。強風での走りをイメージして課題を見つけながら試していきたい」と意欲を見せる。本番までの約2カ月間でさらなるレベルアップを図っていく。
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