vol.12 鵜の目鷹の目 秦野市元教育長東海大学講師 金子信夫
水の如し
先日、福島大の学生に荘子の「君子の交わりは淡きこと水の如し」と話した時、全員の目がキラリと光ったような反応があったので「小人の交わり甘きこと醴(れい)の如し」と続けて人間関係のあり方論で大いに盛り上がりました。醴(れい)とは甘酒のことですが、確かにいつもベタベタ群れているような粘着系の付き合いより、お互いの立場や生き方を尊重しつつ必要に応じて水のようにサラッと付き合う方が長続きします。
水については老子も「上善は水の如し、水はよく万物を利して争わず、衆人の悪む所に拠る」すなわち「最高の善は水のようなものでなければならない。水は万物を助け、周囲に形を合わせて自己を主張せず、誰もが嫌うような低い方へと流れて、そこにおさまる」と述べています。
地球上すべての生命は水のおかげで生き、宇宙船地球号も存在できています。単に科学的、物理的な価値だけでなく、先人の教えのように水には私たちが生きる上で学ぶことが沢山あります。
先の大学生たちが学ぶ福島は、私が子どもの頃名前が同じだったことで大好きだった技巧派力士「信夫山」の出身地です。一昨年、初めて四股名の由来である標高275mの信夫山を見た時は、とても懐かしく嬉しい気持ちになることができました。
その福島には、原発の安全確保のために密閉された中で役立ってきた水や、汚染された建物や樹木から放射性物質を洗い流してくれた水が、汚染水との汚名を着せられて存在しています。水には何の罪もありません。
一刻も早く福島の水が「秦野名水」と同じように、淡くきれいで安全な水になることを心から願います。
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