熱帯作物専門家として後進の育成にあたる 後藤 隆郎さん 小山在住 74歳
熱帯作物に懸けた農業人生
○…20代からブラジルに渡るなど、これまで5カ国30年、常に農業畑にいた。熱帯作物の栽培に情熱を傾け、マレー語、ポルトガル語、スペイン語を操りながら現地人とともに成果を生んできた。一線を退いたいま、活動の最終国となったドミニカ共和国の関係者から震災を見舞う1通のメールが届いた。自身にだけでなく、日本の復興に向けて送られたものと、強調する。
○…昭和11年、日本領・パラオ島生まれ。父の軍隊招集を機に宮崎県に移住し、小2で終戦を迎えた。その後、大学に進学し農業経済学を専攻。大学ではグループで農作物を収穫し、収益を授業料に充てるといった日々を過ごした。農家で育ち、農業を体得したため、講義の内容は手に取るように理解できた。卒業し就職難を味わったものの、縁あって外務省の海外実習生としてブラジルに向かった。現地ではカカオ、コショウ、コーヒーを手がけた。言葉に困らぬよう、ブラジルまでの1カ月の航海中にポルトガル語を学んだ。自分の言葉で思いを伝えたかった。
○…各国で農業指導を任され、成功を収めては転々と国を渡った。50歳で勤め先の本社勤務になっても、機会をつかんでペルーへ。治安状態が悪い同国では、テロとの不安を抱えながら仕事に打ち込んだ。その後ドミニカに移ると、コショウの栽培を極めた。有機栽培法など2種類の方法を熟知しているのは、自分だけ。時に厳しく、現地の言葉でわかりやすく指導した。
○…青年海外協力隊での経験から、ボランティアへの思いは人一倍ある。ただ、「昔は技術があってのボランティア」と、現役世代に物足りなさを感じることも。奉仕の心はもとより、専門知識を深めることの重要性も訴える。「僕はコショウじゃ、誰にも負けないよ」。今でも会社顧問として、熱帯作物栽培の後進の指導にあたり、助言を送り続ける。
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