3年前に青山学院大学理工学部(相模原キャンパス)に入学。高校時代まではサッカーに熱を入れていたが、視野を広げようとボランティア活動を行う学生団体に入った。年2回、仲間と共に宮城県塩竈市へ。小学校での学童保育のサポート指導員や、中学生の夏休み期間に勉強を教えるサマースクールの企画や運営などに携わった。
また、同県の浦戸諸島にある野々島へも訪問した。高齢者を中心に80人ほどしか住人がおらず、内陸地よりも支援の手が届きにくい。加えて震災以前から若者の島離れが続いており、夏に行われている花火大会の担い手不足が懸念されていた。「島の伝統を守る手伝いがしたい」と毎年8月に島に渡り、出店の準備やテント張りを手伝った。島民たちに迎え入れられ、交流を楽しむ1週間。島の人みんなが自分たちを頼りにしてくれているのが嬉しかった。
同団体の活動のテーマは「大学生だからこそできる取り組みを」。2回生からは主軸メンバーとして、現地へのボランティアや人手不足解消の取り組みに力を入れた。特に、中学生を対象に行われる4日間のサマースクールは、ただ勉強を教えるだけではない。同市には大学がないため「学生が将来の展望を描きにくいのでは」と考え、”近所のおにいさん・おねえさん”として接することを心掛けた。大学ではどんなことを学ぶのか、メンバーそれぞれの高校入試の体験談など、年齢の近い自分たちだからこそできる、具体的な未来の話をたくさんした。「普段は大学があるので、現地には夏季・冬季休暇しか行けない。限られた時間の中で満足してもらえるよう、メンバー内で何度も何度も話し合いを重ねた」と振り返る。
自立発展を促すには
同団体と塩竈市との関わりは7年。自身が携わるようになった期間だけでも、現地の需要の変化を感じていた。塩竈市の建物・道路は大方復旧し、新しい店舗や施設もでき、表向きはほとんど復興したといっても過言ではないという。無論、現地の人たちは震災以前の生活に戻ろうと頑張っている。自分たちは、その手助けをしたくて毎年通い続けた。しかし、「このままずっとボランティアを続けることが塩竈市の人たちにとって最善なのだろうか」。自立した発展のためには、現地の人たちで成り立つ仕組みを作るのが一番良いこと。自分たちもその方法を一緒に考えるが、あくまで黒子であり自立の妨げになってはならない。さまざまな思いが錯綜する中で、昨年度、同団体としての塩竈での活動は区切りをつけた。震災から10年を前に、大きな決断をしたことになる。「現地の人たちの温かさや教えてもらった震災の教訓は一生忘れられない。これからは一人でも多くの人にその教訓を知ってもらいたいです」。
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