調停委員として藍綬褒章を受章した 大谷 豊さん 富士見在住 69歳
「調和取れた社会へ」
○…人と人との紛争に対し、当事者双方の話し合いで合意をはかり解決に当たる「調停委員」を務めて20年。「訴訟というのは戦いだが、調停は『ボタンの掛け違いを元に戻す場』。話がお互いの良い方向にまとまれば、達成感がある」。名誉ある受章にも「これまでやってきたことの区切りとして頂いた」と一喜一憂はしないが、「褒章に恥じないよう、まい進していく」と志は高い。
○…相模原生まれ、相模原育ち。大学生時代は学生運動の真っただ中。「大学も閉鎖されちゃったから、のんびりアルバイトなんかして暇をつぶしていた」と笑う。理系だったが、依頼に対して全力で取り組む弁護士の父の姿に影響され、同じ道を歩むことを決めた。神奈川県(当時横浜)弁護士会相模原支部の支部長を務めた縁で、調停委員に。以来20年、真摯に業務に取り組んできた。
○…自他共に認める「仕事人間」だが、たまの休みの息抜きは仲間とのゴルフ。しかしコロナ禍でそれも難しく、「年明け頃にはやりたいなあ」とこぼす。仕事では娘が日々の業務をサポート。「いなけりゃいないで何とかなるけどね」と冗談めかし、喧嘩をすることもあるが、今でも時々、自身の司法試験の合格発表を、幼い娘の手を引いて一緒に見に行った日のことを思い出す。
○…受章にもスタンスを変えるつもりはない。「調停委員は人間としての資質が問われる。これまで通り自分を磨いていくだけ」。周囲で活動する調停委員の努力もひと一倍理解しており、「受章の窓口を広げてほしい」と訴える。活動の先、めざすのは話し合いで諍いが治まる調和の取れた社会の実現。「難しいことだとわかっていても実現しなければ」。大きな理想に向かい、これからも進み続ける。
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