公募写真コンテスト「第24回酒田市土門拳文化賞」で奨励賞を受賞した 平野 君子さん 緑区元橋本町在住 76歳
「輝く命を伝えたかった」
○…一昨年、緑区で起きた悲惨な事件。一命はとりとめたものの施設には介助員時代の生徒もおり、彼らの心情を察するといたたまれなかった。そんなある日、偶然再会した教え子が知的障害者の水泳グループで練習に励んでいると聞く。いてもたってもいられず、水とふれあう姿を半年間撮り続けた。「彼らが生き生きと頑張る姿を見せてくれたから」と受賞を謙虚に受け止める一方「命の大切さを世に伝えたかった」と語気を強める。
○…桶屋、篩屋、金物屋と個人商店が立ち並ぶ橋本仲町の大山街道で下駄屋の次女として出生。「物が無くみんな貧しかった。でも仲が良く心は豊かだった」と戦中戦後の幼少を偲ぶ。都立高から東芝府中工場に入社し実業団女子バレーボール部で主将としてチームを牽引。書記(秘書)を務めた故・渡里杉一郎氏(元東芝社長)の「置かれた場所を大事に。時間を無駄にしない」の教えは、どこを訪れても被写体の魅力を見出そうとする自身のスタンスに通ずる。
○…24歳で結婚を機に退職。子育ての区切りで橋本に戻ると、重い障害のある子を前向きに育てる知人の影響もあり、特別支援学級の介助員としての道を決意。障害児を育てともに過ごした25年間に、「優しい心や人を疑わない純真さなど、多くのことを教えてもらった」としみじみ語る。
○…定年後、教え子の行事でよくカメラにふれたことを思い出しキヤノンの教室に通う。その後は人物や祭り、自然へと心の赴くままにレンズを向け国内外で受賞を重ねた。自由を見守ってくれる夫には「感謝でいっぱい」。我が子は先日、金婚式を祝ってくれた。3月に「集大成」とする写真集を発売。今後は障害のある子らとともに故郷相模原を写真に残すための教室を作るのが夢だ。
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