室町時代の連歌師、心敬(しんけい)が晩年を過ごした市内三ノ宮の心敬塚の近くに、記念碑が建立され、3月16日に除幕式が行われた。「心敬の足跡を後世に伝えよう」と、伊勢原連句会(大津博康会長)や比々多観光振興会(永井治子会長)が中心となって準備を進めてきたもので、当日は会員や地域住民らが集まり、完成を祝った。
心敬は、大山山麓にあった浄業寺(市指定文化財史跡)で、晩年の4年間を過ごし、終焉を迎えたとされる。心敬がよく訪れていたという、三ノ宮地区の丘を地元では古くから「心敬塚」と呼び、心敬を祀る地として守ってきた。
記念碑建立の計画は、昨年亡くなった元教育委員長、堀江政伸さんが発案。2017年夏ごろに堀江さんが比々多観光振興会の副会長、石川節治さんに声をかけ、ほどなく伊勢原連句会の大津会長と、前田明夫副会長が準備に加わった。記念碑は、市教育委員会や地主の田中光哉さんの協力もあり実現したという。
記念碑が建立されたのは、県企業庁三ノ宮低区配水池(三ノ宮655)付近。心敬塚にもほど近く、高さ1・2mの石碑が中心に建つ。心敬直筆の歌や、堀江家の綴連歌を彫った碑、市の観光案内版も設置。日向の(有)秋山安太郎石材(秋山良次代表取締役)が施工した。
除幕式当日は、約30人が出席。神事の後に、堀江さんの妻、昌代さんと田中さん、鍛代英雄教育長、伊勢原連句会主宰の近藤蕉肝さんが幕を引き、記念碑がお披露目された。
連句会の大津会長は「堀江先生の遺志を継いで、記念碑が建立できたことをうれしく思います」と話した。比々多観光振興会の永井会長(比々多神社宮司)は、「一つの歴史文化の掘り起こしができたので、これからも地域の発展につなげていけたら」と語った。
連歌中興の祖
市教育委員会によると、連歌中興の祖といわれる心敬は、1406(応永13年)に紀伊国に生まれた。応仁の乱を避け、関東へ下向し、太田道真・道灌父子と親交を結んだ。
心敬塚では大山や江ノ島などの景色を見ながら、都や故郷を偲んだと考えられ、「遠海をみどりによする夏野かな」の一句を詠んだとされる。享年70歳。
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