横浜DeNAベイスターズ 若き星と歩んだ半世紀 東海岸南在住 稲川寮長が勇退
投手として活躍した現役時代は7年間で83勝を挙げ、オールスターゲームにも3度出場した。引退後もコーチ、スカウトそして選手寮(横須賀市)寮長として様々な角度から現・横浜DeNAベイスターズに携わること約半世紀。市内在住の稲川誠さん(76)が昨年限りで7年間務めた寮長を勇退した。「僕はそれぞれの職を担当する前に必ず1番になってやろうと決意して挑んできました。これまで経験してきたことを生かし『どんな寮長であることが選手にとって一番であるのか』と常に考えて取り組みました。この仕事は自分の集大成でしたから大変満足しています。いろいろな人に助けられ、少しずつ大きくなれた7年間でした」と笑顔で振り返る。
選手一人ひとりと面と向かって
寮長としてスタートを切ったのは2006年から。依頼を受けたのはスカウトを約20年間務めた後、2年間球団を離れていた時のことだった。「もう一度球団に戻れるとは思いもしませんでした。また自分が持っているものを子どもたちに教えられるのだと思うと嬉しかったです。しかし寮長という仕事はこれまでで一番難しかったですね」
就任後は、選手が気分よく帰って来られる環境を作り、何でも相談できる寮長になるということを念頭置き、選手と接することを心掛けた。「寮は選手たちが厳しい試合、練習を終えて帰ってくる場所。監督、コーチから厳しく指導された後なので、僕からは何も言いませんでした。大切なことは選手に自分の時間を作らせる、約束事を必ず守る、相手の気持ちをマンツーマンでよく聞く。そして試合に毎日ベストコンディションで挑める環境を作ってあげること。基本的なことですが確実にやらないと選手からの信頼は得られません。これらを実践することで選手の方から自然に寄ってきてくれました」。選手一人ひとりの細部にまで気を配りながら向き合っていた姿勢こそ誰からも愛された由縁なのかもしれない。
しかしもちろん時には厳しく指導することもあった。「ただ怒るのではなく叱る。叱ることは物を教えるということです。中には何度も言わないと聞かない選手もいましたよ」と微笑む。
いつも横顔を見守りながら
7年間若手選手と共に生活を続け、家族以上の関係を築き上げてきた分エピソードは星の数ほどある。毎日選手の顔色をチェックして、試合で調子が上がらない選手には「何も考えるな、来た球を打てばいい」と鼓舞することもあった。「吉村裕基(現・福岡ソフトバンク)と石川雄洋のような高卒入団選手は本来、4年で退寮しなければいけないのですが、ちょうど芽が出始めた頃と重なったのです。僕は環境を変えない方がいいと思い寮生活の1年間延長を勧めました。その効果もあったのかな。一軍で結果を出せるようになってくれました」と目を細める。
この先も優しさの中に熱い眼差しを
「燃えつきました。僕はもう十分です」。昨年12月、約50年間共に歩み続けた球団に別れを告げた。12月26日の球団仕事納めの際には、冒頭で池田純球団社長から功績を称える記念盾と花束が贈られた。「おそらく球団から盾が贈られるのは僕が初めてじゃないかな。また一つ宝物が増えました。僕が1番愛した球団。とにかく優勝してほしい」。愛する”若き星たち”にこの先も優しく、時には厳しい眼差しを送り続けていく。
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