2月2日に茅ヶ崎市役所で、内閣府主催の防災イベント「TEAM防災ジャパン」が開催された。関東大震災の調査研究を専門とする名古屋大学教授の武村雅之さん(66)がツアーガイドを務めるまち歩きツアーに同行し、市内に残る震災遺構、石碑などについて取材した。
1923年9月1日に起こった関東大震災。相模湾北西を震源地に、東日本大震災の10倍規模とも言われる未曾有の災害は、茅ヶ崎にも大きな被害を与えた。
特に被害が大きかったとされるのが、今宿などを含む相模川周辺地域。松尾大神の震災記念碑に『地表決裂シ至ル所二水ヲ噴キ家屋殆ド倒潰シ』と記されており、液状化が酷く、倒壊率は100%だったと推測されている。また、震災後、同地域がまず神社の再建に取り組んだ記録が同碑に残ることから、武村さんは「心の拠り所であり、地域の中心である神社を最初に作るのは理にかなっている」と説明する。
震災と翌年の丹沢余震の液状化で出土した国指定史跡の旧相模川橋脚(下町屋)の側には「耕地整理碑」が残る。「この碑自体には震災の記載はないが、地域の復興を知る上で大変重要なもの」(武村さん)。当時の中央政府には全被害地域を支援できるだけの力がなく、地方は自分たちの力で復興するほかなかった。神奈川県は農地の被害に関し、当時の県の案で耕地整理法の予算を用いた復興策をとった。翌年の田植えに間に合うよう、土地を整備したことを示すものが同碑になる。「碑などの記録を読み解いていくと、その地域に住む人々がどう復興したのか学ぶことができる」と武村さんは力を込める。
「助け合いが大切」
小和田の熊野神社に残る震災記念碑には『地震のような天災は人力では如何(いかん)ともすることはできないが、災禍の範囲や程度を小さくすること、さらには救済の道を事前に考え災害時にその通り実行することは人の力でできる』と、末代への教訓として残すべく碑を建てた旨が刻まれている。武村さんは「災害は防げない。大切なのは、被害を減らす努力。そして人の助け合いであることを教えてくれている」と石碑を見上げた。
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