茅ヶ崎の轍(わだち) 第34回 道編 「浜道」協力/茅ヶ崎市文化資料館
漁師たちが浜との往復に使った道を浜道といいます。市内では小和田、茅ヶ崎、柳島で漁業が営まれていました。江戸時代には鰯、鯵、シコ(カタクチイワシ)、シラスなどを捕ったことが記録に出てきます。
小和田の浜道は【1】上正寺前の信号から南に入る道【2】学園通り【3】小和田池袋の信号から入る道【4】ラチエン通りが伝えられています。砂防林の中には海と漁を守護する八大龍王が祀られ、「元治元年再建、相模国小和田村発願主 地引六張、網持中」と彫ってあります。
本村の浜道は、八王子神社の参道から線路を渡って一中通りに重なり、ヘッドランド近くに出ます。ここにも八大龍王の碑がありました(現在は西浜海岸)。
南湖、十間坂などからは4本が判っています。市営中海岸プール脇に出る道の海近くには八大龍王が祀られています。また茅ヶ崎漁港付近には他3本の浜道が出ます。六道の辻からは大謀道と言われ、鰤を捕る大謀網を南湖沖に仕掛けた頃、大謀網関係の天幕(テント)が張られたことによります。同漁港近くにも八大龍王が祀られています。
柳島では1・2丁目辺りから海岸へ行く道を浜道と呼び、海に出たところに八大龍王の碑があります。
【参考文献/茅ヶ崎市史】
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