さがみはら中央区版 掲載号:2019年3月14日号
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大川小遺族佐藤敏郎さん 大惨事の教訓を「未災地」に 市教職員ら集め講演

社会

震災時に撮影した写真などを使って講演した佐藤さん=3日、相模原市民会館
震災時に撮影した写真などを使って講演した佐藤さん=3日、相模原市民会館

 東日本大震災で、宮城県石巻市立大川小学校が被災した際に実娘を失い、後に「小さな命の意味を考える会」を立ち上げた佐藤敏郎さん(55)が3日、相模原市民会館で「未来をひらく〜大川小学校からのメッセージ〜」と題して講演を行った。佐藤さんは参加した相模原市の教職員らを前に、被災していない「未災地」として自覚を持ち、平時の際に災害への想像力を働かせ、備えていくことの大切さについて実体験をもとに訴えた。

 大川小の事故をめぐっては、全校児童108人のうち死亡、行方不明を合わせ74人の子どもたちが犠牲となり、教職員も10人が死亡する大惨事に見舞われた。近くに裏山があったにもかかわらず、高台への避難を決め、さらに地震から50分後に避難行動をとるなど教職員の対応の遅さが問題視され、遺族が原告となって県、市を相手に提訴。1審、2審とも勝訴し、県と市に賠償命令が下されている。

 今回の講演は、主催した大船渡支援相模原市民ボランティアの会から講演の打診を受けた佐藤さんが快諾したことから、相模原市での開催が初めて実現した。

 宮城県内で教職員を務めていた佐藤さんは、大川小の事故で当時6年生だった次女を亡くす。その後、2013年に会を設立。15年に教職員を退職し、全国の学校、企業などで講演活動を実施する一方、女川さいがいFMのパーソナリティとしても活躍している。

 佐藤さんは震災直後、近くの避難所で過ごした。

その2日後、妻、息子と避難所で再会を果たしたが、妻から次女の死を告げられた。その時は呆然として泣き崩れたという。遺体安置所で見た次女は外傷は少なかったが、他の遺体の中には泳いで逃げて水を大量に飲み、腹部が膨れ上がった子どももおり、顔なじみの子どもたちばかりでショックを受けたことを明かした。

 同校の避難行動について話が及ぶと、組織としての意思決定が遅れたことが教職員の避難開始時期の判断の遅れを招いたことを説明。加えて、国が宮城県に対して防災体制の見直しを求めていたところ、実効性のあるマニュアル作成ではなく、「提出するためのマニュアルになっていた」といった点を挙げた上で、「(緊急時に)命を守るのは判断と行動。平時のうちから意識しておくこと大事だ」と訴えた。

「娘は胸の中にいる」

 津波が押し寄せようとしている中、佐藤さんによると、大川小では即刻避難するよう求める保護者と教職員が押し問答になり、わが子だけを連れ帰る保護者の姿もあったという。「時間もあって、バスもあった。早く逃げられたのではとの批判が出ていた」。そうして津波到着の1分前に避難開始。向かった場所は学校近くの裏山ではなく、津波が迫る高台方面だった。

 子どもたちを必死に引率しながら津波から逃げ、絶望的な状況に立たされた教職員たちの「その時」について思い浮かべると、「先生たちはもう、抱きしめることしかできなかったんじゃないか」と佐藤さん。そして、避難時の次女はどんな顔をしていたのか、今でも思いを巡らせる。佐藤さんは「こうした話を聞いて自分事としてとらえ、防災計画などに生かしていくことが大事だ」と話す。

 佐藤さんは本紙取材に対し、語り部などの活動について「防災とは震災を忘れないこと、未来を語ることだと思い、取り組んでいる」と強調。一方、次女への思いについて触れると、「娘の事を話すのは今でも辛い。でもそれは、娘が胸の中にいる証拠。悲しみは乗り越えられるものではない。悲しみは娘。一緒に生きていけばいい」と話し、「変な話かも知れないが、娘は存在している。今でも私を見てくれている」と胸の内を語った。

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