相模総合補給廠(補給廠)の一部返還地に暫定整備された南北道路が22日、開通を果たした。一部返還合意から約9年。ようやく人々が「基地返還」を実感できる歴史的瞬間を迎えた。開通によりJR相模原駅北側の住民などにとっては同駅への利便性が向上し、同駅と橋本駅周辺を整備する広域交流拠点の整備計画においても大きな一歩となった。市では今後、南北道路と交わる東西道路の開通に向け準備を進める。
南北道路は長さ880m、幅8mの2車線構造。幅3・5mの歩道に、自転車交通が可能な路肩も整備された。道路は町田街道「小山郵便局前」から相模原駅北口付近まで伸びるが、暫定整備のため他の道路へは接続されず、車両は駅北口でUターンする形となる。
基地返還を巡っては、1971年、早期返還の実現などを目的に相模原市長を会長とした協議会が発足。地道な要望活動を続け、キャンプ淵野辺(現・淵野辺公園など)の全面返還などを実現してきた。補給廠についても全面返還を前提に、一部返還や米軍との共同使用を求め続けた結果、2008年に日米間で一部返還に合意し、14年に一部土地約17ha(ヘクタール)が返還。返還地を利用し、相模原駅と橋本駅周辺を一体的に整備する広域交流拠点の整備計画が進められ、その中で南北道路の整備も盛り込まれている。
22日は午後からの開通に先立ち式典が行われ、加山俊夫市長をはじめ地域の政財界約100人が出席し、待ち望んだ開通を祝った。加山市長は冒頭のあいさつで「南北道路の開通は米軍基地返還に向けた長年の活動の成果であり、今後のまちづくりにおいても大きな一歩となる」と話した。
その後、テープカットなどを経て、出席者や見学に訪れた一般市民は道路を歩きながら「基地返還」を自らの足で実感した。式典終了後、午後2時に南北道路が開通。大勢の地元住民が見守る中、警察車両を先頭に続々と車が往来した。
市は今後、今秋頃の開通を目途に南北道路と交差する約550mの東西道路の整備を進めて行く構えだ。
「どれだけ待ち望んだか」
歴史的な日を迎え、政界、市民からは喜びの声が上がった。相模原市議会の阿部善博議長は式典で「先輩議員の時代から長い間議論し、地域の住民とは知恵を出し合い、関係機関に熱心に要望活動を続けてきた。その成果が今日の開通だと、感激している」とあいさつした。
小山地区自治会連合会の石井今朝太会長は「小山自治会連合会では十数年前から基地返還活動を推進し、『このまま黙っていたら100年先だ』とスローガンを掲げ、デモ行進をした思い出がある。その後は多くの方々の御尽力で、17 haの土地が返還された。今こうして南北道路が開通したことにより、長年の不便さが一気に解消された。地元の皆さんにとっては(米軍に土地を接収されてから)足かけ68年目にしてようやく開通した今日を、どれだけ待ち望んだことか。長年の夢が実現し、多くの市民は今、歓喜の声を上げている」と溢れる思いを、言葉に込めた。
南北道路開通は相模原市民だけでなく町田市民、特に同市小山地区の住民にとっては相模原駅への利便性で大きなメリットがある。式典に訪れた町田市議会の佐藤伸一郎市議は「南北道路については、昔から小山地区を中心とした住民から要望が寄せられていた。開通により生活環境の向上が期待される。今後は町田街道の混雑が予想されるので、車線の複線化などを都や関係機関に要望していきたい」と話した。
道路の整備に伴い、新設された信号付近に住む出口智津子さん(40・宮下本町在住)は相模原駅に向かう際、補給廠の外周をたどっていた不便さを振り返りながら、「これで便利になって良くなるし、秋には小学校への通学路になるとも聞いている。あとは駅ビルがもっと良くなってくれたら嬉しい」と話し、早くも未来への夢を膨らませていた。
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