碑に残る「記念樹」 閑院宮春仁王が視察
1923年8月31日、台風の影響で1時間に57㎜の雨が秦野に降った。地盤が緩んだ翌日の関東大震災で山林等が崩落。土砂が市木沢を埋め小川を堰止めたため震生湖ができた。地震発生の日、下校中だった少女2人がこの付近で行方不明となる。その後も捜索が行われたが発見されなかった。
1925年、秦野で行われた陸軍近衛師団演習に閑院宮春仁王が訪れ、震生湖周辺を視察された。関東大震災で、小田原の別荘にいた妹の寛子さまを亡くしたこともあり、妹と行方不明の少女らを重ね「深く同情した」との見方もある。閑院宮春仁王の視察を記念し地元住民が松を植え、「記念樹」と刻まれた碑を建立。現在、松は枯れ、震生湖バス停付近の記念碑だけが当時を偲ばせている。
|
|
|
|
|
|