篤い信仰を集め、諸国一宮・二宮と呼ばれる大社が成立した理由について学ぶ講演会が5日、二宮町生涯学習センターラディアンで開かれた。神社の歴史に関心のある人など約60人が参加。明治大学講師で史学博士の水谷類(たぐい)さんの解説に耳を傾けた。川勾神社御神宝調査会が主催した。
一宮・二宮の特徴として、皇族や公家と深い関係があることや地理的にも人的にも国府に近いことなどを水谷さんが説明。「相模国の国府は大磯町にあったのに、なぜ寒川神社が一宮なのか」と疑問を提起し、国府の最初の所在地が高座郡(現在の綾瀬市宮久保遺跡付近)といわれる説を述べた。のちに国府は大住郡(平塚市)へ、さらに余綾郡(大磯町)に移転したことが史料で明らかになっていると踏まえ、「寒川神社が第1期の国府に最も近く、『延喜式』神名帳で名神大社に記載されるほど位階が高かったので、一宮になった」という考えを示した。
「律令」や『今昔物語』などを参考に、行政官である国司と神社の関わりについても論及。「国司には任国を巡行する務めがあり、神社の前を素通りするわけにはいかず、神拝もした」。「天皇の代理として神宝を捧げる重要な神社が一宮・二宮に定められた」と語った。
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