江戸時代に流通していた銭貨「寛永通宝」を作っていた鋳銭座が、中井町や開成町にもあったのでは――そんな歴史ロマンを感じる企画展「謎に包まれた藤沢銭」が、中井町の私設博物館「江戸民具街道」(秋澤達雄館長)で始まった。
「高価な金貨・銀貨に比べて、庶民が最も身近に使用していたのが銭貨です」と話すのは同館アシスタント説明員の秋澤傑さん(55)。江戸時代、小判などの金貨は金座、一分銀などの銀貨が銀座で作られたように、銭貨も幕府の管理の下、銭座で鋳造されていた。江戸や京都などに常設の金座・銀座に対し、銭座は銭貨の必要に応じて全国各地に一時的に開設され、公募で民間が請け負った。「記録によるとこの辺りでは須藤平蔵という人物が、1739年に幕府の許可をもらって請負人となっていたようです」。中井町藤沢で作られていたものを「藤沢銭」、開成町吉田島で作られたものを「藤沢・吉田島銭」と呼ぶが「全国に流通したものが現在も大量に残っているためか、古銭としての価値はほとんどない」という。しかし「大正や昭和にも藤沢銭の調査をした研究家がいたが、現在まで銭座があったことを示す明確な物証が見つかっていない。そこにロマンがある」と傑さんは語る。
地域の歴史にスポットを
調査のきっかけは半年ほど前、富山県にあった先祖の蔵の中から出てきた古銭の束を選別してみたところ40種類近くもあった。興味をもって調べてみると日本中に数百種類の寛永通宝があり、この近辺でも鋳造されていた可能性があることを知った。「このまま埋もれてしまうのはもったいない。地域の歴史にスポットライトを浴びせることができるのでは」と本格的に調査を始めた。国会図書館や古書店での資料収集や記録の調査から始まり、記述をもとに現地調査にも出かけたという。「大岡越前の日記に吉田島と思われる銅銭の鋳造や、玄倉山で鋳造材料となる銅採掘についての記述も出てくる。その一方で中井町藤沢については古文書も残っておらず、地元の人も知らない」
「謎が残ったままですが可能性は感じられる。半年間の調査結果を皆さんにもぜひ知ってもらいたい」と傑さん。企画展では藤沢銭やその鋳型の母銭などと共に、秤、千両箱など江戸時代の庶民が使っていた道具類を展示している。展示は2019年1月末までを予定。
江戸民具街道【電話】0465・81・5339
▽中井町久所418/入館料大人500円・子ども400円/午前9時〜午後5時/月曜休館
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