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秦野版 公開:2015年7月4日 エリアトップへ

火山灰土坑からよむ苦境 横野の掘り埋め痕

社会

公開:2015年7月4日

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横野の発掘調査現場に出現した火山灰廃棄土坑写真提供=(公財)かながわ考古学財団
横野の発掘調査現場に出現した火山灰廃棄土坑写真提供=(公財)かながわ考古学財団

 新東名高速道路の建設に伴う発掘調査が、(公財)かながわ考古学財団により秦野市横野で行われている。昨年10月から始まった発掘の過程で宝永4(1707)年に起こった富士山噴火による火山灰の廃棄土坑が現れた。これを題材に6月27日、桜土手古墳展示館で講演会「発掘された災害の痕跡」が開催され約50人が聴講した。

 宝永の富士山噴火では火山灰が偏西風に乗り、秦野市にも45cm前後堆積したとされ、田畑は壊滅状態となった。農業復興のため、当時の住民たちは土地の天地返しを行い「うなへくるミ」という掘り埋め作業を行った痕跡が発掘調査によって明らかになった。

 掘り埋めは、深さ60cmから1mほどの溝を掘り、そこへ隣の火山灰を埋める。地面が出てきたらまた溝を掘り、掘り起こした土を最初に埋めた火山灰の上に敷く。掘った溝にまた隣の火山灰を埋めるという繰り返しの作業だ。今回発掘している面積約1万4千平方メートルの一面に廃棄土坑が広がる。講演会の講師を務めた同財団の天野賢一氏は「火山灰はすごい量だった。掘り埋めには相当な時間を要したのではないか」と推測する。

 宝永噴火の4年前には最大マグニチュード8・2と推定される元禄の大地震も発生。復興もままならない最中、宝永噴火が起こり、当時の住民には「泣きっ面に蜂」と天野氏は語る。住民からは役人への救済願いの訴えが出され、文献としても残っている。

 現場では現在、廃棄土坑の下の発掘作業が進み縄文時代の土器などが出土している。秋には地元住民を対象に発掘現場の見学会も計画中だという。

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