2018年は戌年。今年はどんな年になるのか…そのヒントを探るべく、秦野の戌年を紐解いてみよう。
遡ること144年前。文明開化の音を聞いた明治期、郵便制度の広まりを受けて1874年に入船町に郵便局所が開局した。
その頃には喫煙習慣が一般にも浸透し、需要の高まりと共に1898年には「秦野葉たばこ専売所」が開設。秦野で江戸時代から続くタバコ耕作は広まりを見せ、日本三大銘葉の一つとして謳われるようになった。
大正期に入り、1922年。渋沢小と堀小が統一して西小の前身に。開進小・東雲小・田原小も統一され、東小の前身が誕生した。
昭和期になると、秦野町・南秦野町・東秦野村・北秦野村が合併し「秦野市」が誕生。1958年には市章が制定された。市章は当初市民からの応募作品を対象に選考されたが決定打に欠け、最終的に鹿児島県の新美礼二さんの作品を採用。検討案2、3点の中から決定したという。
1970年には市制15周年を迎え、市役所新庁舎の落成記念式典が行われた。一般公開には千人を超える見学者が訪れたほか、記念パレードも行われ、市内は祝賀ムード一色となった。また児童館や公民館、青少年会館等も次々と完成し、公共施設の充実が図られた時代でもあった。
1982年になると南が丘小、堀川小、南が丘中が開校。みなみがおか・ほりかわ幼稚園も開園し、人口は13万人を突破。1994年には、県下でも随一の荒廃河川だった水無川の砂防環境整備事業の第1期工事が完成し、水無川緑地が整備されたことで市民の憩いの場に生まれ変わった。
12年前の2006年には今泉遊水池に「今泉名水桜公園」がオープン。秦野丹沢まつりは50回を数えた。火災や防犯の緊急情報メール配信サービスや、秦野市議会本会議のインターネット配信が開始されたのもこの年で、ITを活用したサービスが展開されている。
十干と十二支を組み合わせた今年の干支は「戊戌(つちのえいぬ)」。似ている漢字だが”戊”は茂に通じ、葉が生い茂る絶頂期を表す一方で、”戌”は草木が枯れる様子を示す。しかし四季に例えれば「秋」にあたり、次の芽を出す種子ができる年でもあるという。新たな始まりを予感させる2018年、良き年となるよう期待したい。
※資料提供:秦野市/参考文献「秦野年代記1955―2015」「統計はだの平成28年度版」
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田原ふるさと公園野菜直売研究所0463-84-1281/そば処東雲0463-84-1282 https://www.kankou-hadano.org/pointinformation/pointinformationguide/point_tawarafurusatokouen.html |
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