秦野の「たばこ耕作」の歴史は江戸時代まで遡る。江戸時代、富士山の噴火により秦野の田畑は50〜60cmほどの灰に覆われ、壊滅状態に陥った。そんな荒れた土地でも育てられるものとして葉タバコの栽培が広がっていき、技術の高さから全国有数の産地として浸透。1898年(明治31年)には煙草専売所が設置され、産業の発展に大きく寄与した。
1948年(昭和23年)、戦争の影響でたばこ耕作は衰退し、戦後の不況期とあわせ秦野は活力を失っていたという。こうしたなか、神奈川県煙草耕作組合連合会が創立25周年を迎えることから、官民一体となって乗り越えようと行われたのが4つの記念事業。1つめはたばこ栽培法を研究し、耕作技術向上に大きな功績を残した「関野作次郎」像の建立。2つめはたばこ耕作者の慰労会、3つめが秦野煙草民謡の公募選定、4つめが神奈川県煙草誌の刊行。このうちの慰労会が「第1回たばこ祭」となり、同年10月1・2日に、秦野専売支局収納場の敷地(現在のイオン秦野店の敷地)で開催された。
1984年(昭和59年)に秦野でのたばこ耕作は幕を閉じたが、秦野の発展を担ってきたたばこ耕作の歴史を現在に伝えるため、名称を変えることなく、市の一大観光行事として「秦野たばこ祭」が行われている。
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