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秦野版 公開:2013年10月10日 エリアトップへ

TOKYO 1964 「国民の期待一身に」 体操団体総合 金メダリスト 三栗 崇さん

公開:2013年10月10日

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笑顔を見せる三栗さん
笑顔を見せる三栗さん

 日本が金メダル16個を獲得した1964年の東京五輪。体操男子団体総合のメンバーだった三栗崇(みつくりたかし)さん(74歳・秦野市南矢名在住)は、1960年のローマ五輪に続き、金メダルを獲得した。

 床・あん馬・つり輪・跳馬・平行棒・鉄棒の6種目を、6人1チームで競う団体総合。当時25歳の三栗さんが得意としていたのが「あん馬」。東京五輪で日本チームは、そのあん馬が最終種目だった。当時世界トップレベルの選手を揃えていた日本チームは、選手全員が手ごたえを感じつつ終盤へ。そして、最終種目の最終競技者として台上に上がったのが三栗さんだった。

 「完璧だった」という、今でも鮮やかに脳裏によみがえるダイナミックな演技を披露した。演技が終わると、何となく会場がざわついているのに気が付いた。「もしかしたら金が獲れたのかも」と感じたという。

 前大会のローマ五輪で金メダルを獲得していたことから、男子体操チームへの国民の期待は他の競技と比べてとりわけ高かった。「国民の期待を一身に背負い、さらに結果を残すことができ、こんな名誉なことはない」と振り返った。

 富山県出身の三栗さん。体操との出会いは中学2年の頃。体育館にいた時、突然やってきた英語の教諭が目の前にあった鉄棒でいきなり回転を始めたという。その姿を見て「やってみるか」と体操部を設立した。

 その後、一度は体操から離れたものの、高校1年で再び体操の世界へ。ここから才能が開花し、高校時代、大学時代、そして2度のオリンピック金メダルと、華やかな競技人生を歩んだ。

 65歳で教授を務めていた国際武道大学を定年退職し、現在は悠々自適な生活を送っている。

 2020年東京五輪決定を受けて、「人生で2度も自国でオリンピックを見られるなんて幸せ者」と話し、未来のメダリスト候補生たちに向けて「誰でも可能性がある。努力は必ず報われるから、頑張って練習して」とエールを送った。
 

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