秦野市曽屋在住の深石照代さん(79)が曾屋神社内にある秦野護國神社に息子・佳洋(よしひろ)さんの遺品である模型約150個を奉納した。深石家は代々曾屋神社の氏子総代兼責任役員を歴任しており、同神社の守山文夫宮司や守山和宏禰宜とも親交が深く、照代さんも現在、曾屋神社敬神婦人会の会長を務めている。
佳洋さんは子どもの時から元海軍軍人だった祖父・嘉甫(よしお)さんが話す戦争の話を熱心に聞いていたという。祖父の影響を受け、高校の頃からは趣味で旧日本海軍の艦艇や戦闘機、海上自衛隊の艦艇などの模型を作りをはじめた。模型作りは、佳洋さんが2019年に咽頭がんを患い、54歳で亡くなる直前まで続けていたという。
「息子は『声なしでは生きていけないから、手術を受けないことを選ぶ』と言っていました。几帳面な性格で、好きなことにこだわる子だった」と照代さん。佳洋さんが亡くなった後も、佳洋さんの部屋を夫の純一さんが書斎として使い、模型のコレクションは部屋の書棚に思い出として残してあった。純一さんは同神社の責任役員として「令和御大典記念事業」の準備を進めており、その打ち合わせで守山禰宜が訪ねた際に、コレクションを目にしていたという。
しかし、純一さんも今年5月に病気で他界。遺された照代さんは「今後、娘たちにこの家を継いでいくのなら、私が責任をもって思い出を整理していかなければと思いました」と話す。その話を聞いた守山禰宜は、処分するのではなく「秦野護國神社」に奉納してはどうかと打診。「それならきっと、息子も喜ぶだろうと思いました」と照代さんは快諾した。
見学できるよう展示
「秦野護國神社」は西南戦争から第二次世界大戦の間に当時の秦野町から出征した358柱を祀っている神社。本町地区の住民が英霊を祀ろうと1953(昭和28)年6月に建てたもので「こうしたコレクションの数々も一緒に見守ってくださることでしょう」と守山禰宜は話す。
奉納された模型は旧日本海軍や海上自衛隊の艦艇127隻と、旧日本海軍の飛行機など21機。中には佳洋さんが作成した日付が書かれたものもある。これらの模型は秦野護國神社内に奉納され、神社拝殿の戸が開けられている際には外から見ることができるようになっている。
照代さんは「息子は照れ屋だったので、きっと『そんなのいいよ』と笑いながらも喜んでいると思います。こうして声をかけていただき、これも人生だな、と感じました」と笑顔を浮かべた。
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