昨年の東京五輪では女子バスケが準優勝し、多くの感動を与えてくれた。秦野にも大学バスケ界を牽引する名将がいる。寅年生まれの年男、東海大学男子バスケットボール部SEAGULLSの陸川章監督(59)だ。実業団で活躍し日本代表で世界を経験している他、同部をインカレで6回優勝へ導いている。
高校から始め、日本代表に
新潟県出身。子どもの頃から走ることが好きで、中学では陸上部で中距離をメインに活躍。バスケを始めたのは身長が190cm近くまで伸びた高校生の時だった。オリンピックやドラマを見て憧れていたこともあり、同級生に練習に誘われ即答。タフなメンタルとフィジカルでメキメキ頭角を現し、走れるビッグマンとして話題に。日本体育大学でもバスケに没頭し、卒業後は実業団チームを持つNKKでサラリーマン兼選手として活躍。
日本代表に選出され世界も経験し、キャプテンも務めるなどスター街道まっしぐら。「世界大会で控えめにベスト6を目標にして達成した時に、もっと高い目標を掲げていたらさらに勝ち上がれたのでは」と、高い目標を掲げるように。
「人生を教えたい」
バブル崩壊で休部となり、37歳で悔しくも選手を引退。その後同社の社員として日本初のプロジェクトといわれる偉業を成し遂げるも、どうしてもバスケが忘れられなかった。
休部から約1年半後、妻の承諾を得て退職し大学バスケの監督になるため渡米。米国の指導者から言われた「選手は機械じゃない、人間ですよ。バスケを通して人生を教えてあげたい」という言葉を胸に帰国し、2001年に東海大の監督に就任した。当時2部にいた同部で掲げた目標は「1部昇格、インカレ優勝」、皆に大爆笑されるほど高い目標だった。
怒らず、驕らず
対話を大切にし、怒らない指導で有名の陸川監督を学生らは「陸さん」と慕いハードな練習にもついてきた。「上も下もない。良いものは学生からどんどん教わり吸収して、チームに還元すればこんな良いことはないだろう」とハハハと笑う。
しかし慣れてきた頃、温厚な監督が怒る出来事が─。「練習中に仲間が頑張っている中、世間話をする選手がいて、初めて怒りましたね」と振り返る。「仲間を大事にできていない時に怒るかも。でも手をあげて怒るとかは大嫌い」。言いたいことを言い合える関係づくりに努めている。
「心と技術の山」がチャンピオンへの道
優勝に向かい駆け抜ける選手たちによく伝える言葉がある。「心と技術の山を登りなさい。人に感謝できるか、周りのサポートにどういう態度でいられるか、勘違いしている人は最後勝てない」と表情を引き締める。そうして学生たちに真摯に向き合い3年後には1部昇格、4年後にはインカレ優勝へ導いた。東海大をバスケの強豪校に押し上げたのだ。
監督歴は今年で21年目。多くの優勝も手にしてきたが、同じ位負けも経験してきた。そんな時選手たちには「必要なことが必然的に起こっているだけ。次に生かせることだと思えばそれは失敗じゃない」と話をする。実際今年度のインカレは準優勝となったが、チームの意識が格段に変わったと目を輝かせた。
「だめだと思ったらだめだわや」
勝敗で態度を変えない陸川監督。そこには家族の言葉が深く胸に刻まれている。「ばあちゃんには負けて下を向いていたら『下に何が落ちてる!負けるが勝ちだわや』、勝っても『いい気になんな』、父には『だめだと思ったらだめだわや』って幼稚園の頃からずっと言われていて。下も向けない、いい気にもなれない、諦めることも許されない。勝負の王道を学びました」。
陸川イズムを受け継ぐ教え子たちは昨年時点で約40人がBリーグで活躍しているほか、バスケ名門校の指導者などそれぞれが身につけた力を発揮している。「チャンスがあればずっと監督もやっていきたいですね」。挑戦はこれからも続く。
弘法山で必勝祈願
「毎年、弘法山の神社にみんなで必勝祈願に行っていますよ」と声を弾ませる。「秦野の桜並木と富士山の眺めは圧巻。富士山を見ながら出勤する時に『絶対日本一とるぞ』って思いながら来てるんですよ」と笑う。最後にスポーツに励む子どもたちにメッセージをもらった。「思いっきり楽しんで、それが一番」。
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