日本国憲法の制定過程から学ぶ 衆議院本会議での北昤吉議員の質疑(1) 〈寄稿〉文/小川光夫 No.69
昭和21年(1946年)5月16日、第90回帝国議会が召集された。開会にあたり、内閣は憲法専任国務大臣として、法制局長官などの経験がある金森徳次郎を任命した。また開会式が4月10日の衆議院選挙後の組閣等の関係で6月20日になったことで、憲法改正案は、開会式の当日に帝国憲法第73条の憲法改正手続きに基づいて勅令をもって議会に提出され、6月25日、帝国憲法改正案として衆議院本会議に上程された。まず共産党の志賀義雄議員より審議延期の動議が提出されたが、否決されたことによって、吉田総理が提案理由の演説を行い、直ちに審議に入った。最初に質疑を行なったのは自由党の北昤吉議員であった。彼は総論では、突如として憲法改正草案が発表されたことに対する真意、や戦争放棄における政府の心構え、君主制の是認の根拠、憲法改正草案と国体との関係などについて質問しているが、各論では日本国憲法を考えるにあたって重要な視点が含まれているので紹介する。
そのときの北は、この憲法改正案がGHQの民政局で作成されたことについては全く知らされていなかったが、各論では疑いを持って質問している。まず前文では全体的にアメリカ憲法に似ていて翻訳口調であり、前文最初の「日本國民は、国會における正當に選擧された代表者を通じて」において、何故「日本国民は正当に選挙された国会議員を通して」といわないのか疑問を投げかけている。そして「純粋な日本人的な頭で日本文を書くのなら、このような文章は書けるはずがない、これでは国会で選挙された国会議員となる」と指摘している(現在の憲法は、北の主張通りになっている)。また次の行にある「自由の福祉を確保」についても合衆国憲法前文にある「blessings of liberty」に該当し、もしその言葉を翻訳するのならば、「自由のもたらす恵沢」と訳すべきだ、と指摘している(これも北のいう通りに修正されている)。第1条の「天皇の象徴」については、「天皇の機能の規定は第7条に詳細に尽くしており、吉田首相も全体説明で天皇は日本国を代表する、といっているのだから象徴ではなく元首にしらどうか」と述べている(これについては民政局の強い圧力あって実現していない)。また「戦争抛棄」については、「戦争に負けて武装解除した国が、戦争いたしませんというのは、貧乏者で赤貧に陥っているのに、倹約いたしますというのと同じである。」、「実質的な陸海空の三軍を設けないという憲法の規定であるから(これについて彼は設けても良いと思っている)、自衛権の発動の場合は、相手が武器を持ち、こちらは空手であっても、自分の貞操もしくは名誉を擁護する場合には、敢然と反対するのは日本の国民の基本的人権である」、「この前のヨーロッパ戦争後ドイツが戦争に負けてワイマール憲法が出来たときは、世界の最も進歩的な憲法だと言われたが、その運用を誤って…連立内閣、短命内閣の連続で…ついにヒトラーの擡頭を促した」と述べ、政府の戦争放棄に対する心構えと見解を質している。第3章の国民の権利義務においては、「明治憲法」にあった「日本臣民たる要件は法律をもってこれを定める」という条項(現在の第10条)や、「納税の義務」(現在の第30条)が抜けていることを指摘している。特にこの章については、権利を説くことを急いで、義務を規定することに非常に寛大である、としている。
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