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三浦版 公開:2013年3月8日 エリアトップへ

三浦の散歩道 〈第36回〉 みうら観光ボランティアガイド協会

公開:2013年3月8日

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菊名左衛門重氏碑
菊名左衛門重氏碑

 バス停「白山神社」の先きを右折して、しばらく進んで行きます。「仲川橋」の手前、左側に庚申塔があります。そのまま左側へと歩を進めます。右側は畑になってきて、そのまま「田保谷戸」へ続きます。その手前、元気な犬の居る家の脇に丘陵へ登る道があります。軽トラックが入れるのでしょうか、山道にわだちがみられます。徐々に道は急になってきます。やがて、「水田」の表札がかかった廃屋の前を過ぎると、畑が見えて来ます。右手の狭い道を行くと、道に沿う形で市の表示板があります。菊名左衛門重氏の事蹟についてなのでしょうが、残念なことに、古びたのか、よく読めません。そのやゝ開けた処に「菊名左衛門重氏碑」があります。碑の裏に数個の五輪塔が見られます。大正7年に刊行された『三浦郡誌』には「菊名の海岸にあり、小さき五輪塔五基並べり。里俗菊名左衛門の墓と称す。」とあります。碑文について、大正14年6月15日発行の北村包直著『三浦大介及三浦党』の第二十八節に次のように記しています。漢文体ですが、書き下し文で引用します。「菊名左衛門重氏、三浦義同(よしあつ)家臣也。菊名ヲ領ス、忠勇夙(つと)ニ著(いちじる)シク。永正合戦、義同幼子虎王敵ノ為(ため)ニ擒(とら)エラル所。重氏之(これ)ヲ奪ハント欲ス。挺身(ていしん)シテ敵陣ニ入リ遂ニ戦死ス。領民敬慕シ之ヲ葬ル。年所悠久シ、墳墓ハ漸(しだい)ニ荒廃ス。大正11年秋。有志胥(あひ)謀(はか)リ、墓塋(ぼえい)ヲ修メ治(なお)シ、永存ノ法ヲ講ジ、且ツ碑ヲ樹テ記ス。」とあり、さらに「菊名重氏と虎王との詳細の事蹟は、不明である。此の碑文を掲げて伝記に代へた。」と書いています。これは、村井弦斉が明治27年1月から都(みやこ)新聞に連載された小説『桜の御所』によるもので、当時、本瑞寺下の日ノ出にあった「青柳旅館に逗留して書いたと言われているものです。次のように書かれています。「小桜姫『菊名左衛門、御身を救はんとて討死したりと承る、其(その)時の有様御物語候え』虎王丸『(前略)多目権平長康が我が身を此に送らんと一の宮の裏門を立ち出でしに、百姓姿に身をやつしたる菊名左衛門不意に躍り出でて我が身を奪い取らんとす、権平も聞こゆる勇士なり、左(さ)はさせじと立向い互にしばらく闘いしが、左衛門の勢い鋭くして権平危うく見えけるところに何者かが射たりけん白羽の尖(とが)り矢飛び来って左衛門が右の腕(かいな)に立つ、さしもの重氏弱る処に北条家の兵士おりかさなって遂に其の首を取りしなり。』」とあり、その菊名左衛門と思われる人物の別荘を「浜御殿」の名で呼ばれていたと言われています。菊名左衛門碑のある小丘の下の畑道をさらに進んで行きますと、「水間(みずま)さま」と呼ばれる祠があります。

つづく
 

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