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三浦版 公開:2013年11月1日 エリアトップへ

三浦の散歩道 〈第50回〉 みうら観光ボランティアガイド協会

公開:2013年11月1日

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松輪、大浦の千光いなり神社
松輪、大浦の千光いなり神社

 「探照庫」を見て、再び来た道を谷戸まで戻り、海辺への道を進んで行きますと、左へ曲がる細道に達しました。近くに潮騒を聞きながら細い道を進みますと右側に山側からの水を溜め置く処が見られました。こんなところに水が…と思っているうちに視界がひらけて、海浜へと達しました。「遠津浜」呼ばれる絶景の地です。

 進行方向の左手、山側に大きな洞穴も見えます。自然のもののように見えました。浜は北側に少しの岩礁と前面は砂浜で、向かいに房総の山も眺められる眺望のよいところです。しばし、景色を楽しみ、道を引き返し、次に「間口漁港」への道に向いました。「勝谷原」から「柳作」へと歩を進めてきました。

 両側に大根の畑が続き、やがて人家のある所まで来ますと、道の左側に「庚申塔」が5基並んでいるところがありました。手前は、「猿田彦大神」と刻された駒型の石塔で、明治20年の銘と「願主田中忠造」とあります。さらに同年の銘で「願主立川清次郎」とあり、3番目は風化によって年号も形も不明です。4番目は「青面金剛像」で嘉永7年(1854)の銘が刻されています。五番目は「庚申供養塔」と刻され、安永10年(1781)2月の銘と、台石に「柳作講中」の文字が見られます。さらに100メートル程行きますと、左へ曲がろうとする道辺に2基の庚申塔が小屋風の建物の中にありました。150メートル程歩きますと道の右側に、3基の庚申塔があります。いずれも明治、大正の年号で、「奉祭鈴木又四郎」と刻された塔は2基で、ひとつは「奉賓」の文字になっています。大浦の坂を下って、「大浦海岸入口」まで歩きますと、左側の山裾に明治14年銘の「猿田彦大神」と「庚申」の文字のみが刻された庚申塔2基があり、きれいな花が手向けられていました。道を「大浦海岸」へとりました。ここの海岸は海水浴場として賑わった所なので、風景もよく、見事な砂浜です。近くに民宿が数多く見られる地でもあります。再び、漁港への道に戻り、次に5基並んでいる「庚申塔」の前の坂を上がって行きました。左側の山裾が露出しています。

 さらに上がって左手を向きますと、朱の鳥居が幾重にも見えます。「千光いなり」と呼ばれる「稲荷社」です。社殿は瓦葺き妻入りの建物で、入口は開きの格子戸となっています。浜田勘太氏の『南下浦の歴史探訪記』によりますと、「四月十日いなりさま、大浦山の稲荷社は問口、八ヶ久保、柳作の三里の合同で福泉寺の『千光いなり』といって盛大に行う」とあります。その紹介の中に「千光」とは寺の山号のことであると、しています。それにしても、柳作からここまで約1キロ足らずの道程で、庚申塔を17基も数えました。

つづく
 

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