三浦の散歩道 〈第51回〉 みうら観光ボランティアガイド協会
松輪間口漁港を起点として剱崎灯台へ歩を進めてみます。「関東ふれあいの道」の一つ、「三浦・岩礁のみち」です。
間口の漁港を左手に見ながら山裾の岩礁を行きますと、岩礁の間の白砂の浜へ行き着きます。目じるしの標示板が見えてきます。港から4百メートルの地点です。岩場を歩いて白い砂浜に出る間近に白い小さな「灯明塔」(らしきもの)が見られ、その彼方に房総の山並みが眺望できます。特に鋸山がはっきりと見え、その手前の青い海を大きな船が走行している様がゆったりと眺められます。白砂の浜の山際は荒々しい岩肌で、今にも崩壊してしまうのではないかと思える個所もあります。もちろん、金網があって立ち入ることはできません。
灯台へは、登りになります。砂浜を出ると舗装の路があります。塀に囲まれた洋館の脇を進んで行きますと、坂道の脇に石蕗(つわぶき)の黄色い花が点在していて、それは心が和(なご)みます。ところどころに薊(あざみ)の紅紫色の花も見られます。
しばらく坂を上がり、視界が開けた所へ出ます。左手に石畳の細い坂道があります。約80メートルほど、それを上がって行くと左側に白い灯台が見えてきます。入口の左側に看板があります。そこには「東京湾の入口にある灯台」とあり大きく「剱崎灯台」と明示されています。そこには次のように書かれています。「1866(慶応2)年江戸条約に基づき、明治政府が1871(明治4)年に設置し、対岸の房総半島にある洲崎灯台と対で東京湾の入り口を表しています」とあって、位置は、北緯35度8分29秒。東経139度40分38秒にあるとのことで、「光り方」は、30秒毎に白光を二閃(せん)光と緑光一閃光(複合群白緑互光)とあり、届く距離は17・5海里(約32キロメートル)ということです。灯台の高さは地上から頂部まで17メートル。水面から灯火まで、約41メートルあるそうです。管理は「第三管区海上保安本部」であるとのことが記されています。
灯台のある敷地は広く、海側の所に石碑が建っています。近寄ってみますと、「皇太后陛下行啓記念碑」とあります。裏面に「昭和十六年六月七日、逓信(ていしん)大臣村田省蔵謹書」とあり、さらに「昭和十六年十二月三日建立 ○○(不明)局長新谷寅三郎」と刻されています。残念ながら「局長」の上、2文字が読めませんでした。
昭和16年と言えば、太平洋戦争に突入する年であり、「挙国一致の戦意高揚」が叫ばれた年でもあります。「剱崎」の名称については、万治の頃(1658〜60年)、幕府の官材を積んだ船が岬の沖で難破したとき、岬の突端から海南神社の神官が剱を海に投じて竜神の怒りを鎮めたということです。この話は、1756(宝暦6)年に出された『三崎志』にあると言われています。
つづく
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