新春特別編『七福神』 三浦の散歩道 みうら観光ボランティアガイド協会
お正月になると各地で「七福神」参りが行われます。三浦市にも「七福神」を祀る寺社があります。毎年のこと、遠く埼玉県をはじめ都内や県内の多くの人が参拝に訪れます。読み人知らずですが、「七福神を寿ぐ歌」をもって紹介しましょう。一般的には、東側から順次時計まわりに訪れる人が多いようです。
第1番、金光(こんこう)恵比須(円福寺)「釣り上げし魚を宝と抱きしめて笑ふ恵比須の神の御威徳」この神様は唯一、日本の神であって、金田湾の海上から誕生したと伝えられています。
第2番、白浜毘沙門天(慈雲寺)「魔を降す猛(たけ)き姿にひきかへて情にあまる福徳の神」「天」の付く神様は皆、インド生まれの神です。この神も白浜海岸の海中より出現の神と伝えています。四天王の「多聞天」と言われる仏法の守護神。
第3番、筌龍弁財天(海南神社)「弾く琵琶の妙なる音(ね)にも似たるかな福を喜ぶ諸人(もろびと)の声」源頼朝公の挙兵に応じた和田義盛が安房へ渡る祈り、兵糧が尽きたとき、龍神に祈ったところ「筌」(竹製の魚具)が流れ至り、人々は飢えをしのいだと伝えて「筌」を祀ったと言う。「弁財天」は、インドでは「川の神」として崇められています。
第4番、桃林布袋尊(とうりんほてい・見桃寺)「限りなき宝の布袋みて励め笑ふ門には福来るなり」中国の神様で、十世紀に実在した禅宗の僧侶で、この寺の第三世宗屋禅師が帰依していた仏ということです。
第5番、長安寿老人(じゅろうじん 白髭神社)「玄鹿の命長きにあやかれと杖を引きつつ世を救ふ神」 江戸時代に風待ち港として栄えた「小網代」の奥まった処に鎮座する社に祀られています。この神は中国の民間信仰で南極星の化身と言われています。この神社には叩くと金属音のする元は錨であった石もあります。
第6番、鶴(かく)園福禄寿(妙音寺)「仰ぎみるその御頭(おかしら)の長きごと延寿の徳を与へまします」鶴を携え「幸福」「財宝」「長寿」の三徳を有する中国の神様。妙音寺は三崎口駅にも近い山あいにあって「百合の寺」としても名高い。正月の頃は水仙が山内の散策道に咲いています。
第7番、寿福大里天(延寿寺)「打つ槌(つち)に宝の雨をふらしつつ無福の民を救ふ御神」 古代インドでは戦(いくさ)、闇(やみ)の神であったが、仏に帰依してからは、寺院の守護神として、生産豊饒の神になったという。ここの像は文化年間(1804〜17)に日龍上人が一刀三礼のもとに彫られたものと伝えられています。
七福神と宝船の信仰は江戸中期に入ってからで、宝船に七福神を描いたものが流行し「正月二日、今夜宝船の絵を枕下に敷きて寝る也、今の世、禁裡(御所)に用ひ玉(たま)ふは米俵を積むの図也。民間に売る者は七福神或は宝尽(つくし)等を画く」(守貞漫稿)とあります。その宝船には歌が添えられています。この歌が回文になっていて、始めから詠んでも終わりから詠んでも同じものになっています。「ながき夜のとおの眠りのみな目ざめ波のり船の音のよきかな」の歌です。昔は濁点は表記しませんでした。正月の行事を通じて、七の聖数にしたがう事例はいくつか挙げられます。徳島県では、正月に七鳥居をくぐると、その年は無事。南九州には、正月七日に、七所(ななとこ)祝いといって、7歳の子が近隣の7軒を回って雑炊を貰って食べると病気にかからないと伝えています。正月七日は「人日の節句」と言い「人を占する」として、五節句のひとつでもあります。
新年が皆様にとって最良の年になりますよう、七福神の神々に祈念申し上げます。
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