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今年は「三浦一族」に大注目 山城ガールむつみさんに聞く魅力

文化

掲載号:2022年1月1日号

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 今年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の放送開始を控え、鎌倉が今まで以上に注目されている中、三浦半島にも縁が深いことを見落としてはいけない。中世の武家政権樹立と繁栄を支えたのは、半島一円を統治していた三浦氏。作品の主人公である鎌倉幕府2代執権・北条義時を描くにあたっては外せない存在だ。今回は三浦一族への理解を深めるため、三浦一族研究会役員の「山城ガールむつみ(宇野睦)」さんにその歴史や地元との関わりをわかりやすく解説してもらった。

 ――三浦一族とは。

 「作中の舞台である鎌倉幕府を語る上で最重要人物が初代将軍・源頼朝です。彼が生まれた当時は平安時代末期、京都の朝廷が政治の中心でした。皇族や公家に代わり、武士が政治力を持ち始めていたのもこの頃。その武士同士の争いで、父・義朝が平清盛に敗れた後、人質として長らく伊豆半島で囚われの身でした。当時、伊豆韮山には後に執権となる北条氏がおり、頼朝が韮山に来ると平家方のお目付役を担いました。その後頼朝は平家打倒のために源氏の棟梁として挙兵。その時から頼朝を支えた一族が三浦氏でした。ドラマの主人公である義時の執権職を支えたのも三浦一族で『13人』にも数えられている義澄と、子の義村。つまり鎌倉幕府の樹立・確立には欠かせなかった重要な一族ということです」

 ――人物像を1人ずつ教えてください。

 「まずは三浦義明から。三浦一族は頼朝挙兵の際に真っ先に従い、石橋山の戦いへ参戦しようと三浦半島から出陣。その時の一族の長が、89歳の老将・義明でした。しかし大雨で増水していた酒匂川(小田原市)で足止めを食らい、到着前に頼朝が敗走してしまったことで本拠地である衣笠へ引き返しました。その道中で敵方の畠山重忠と鎌倉・由比ヶ浜周辺で遭遇。親類関係でもあったことから互いに戦わず手打ちにするはずが、一族の和田義茂が誤って戦いを始めてしまったことで刀を交えることに。これがいわゆる小坪合戦です。この戦いは勝利したものの、重忠が大軍勢を引き連れて今度は衣笠へ来襲。その戦いに敗れ、義明は討ち死にしたとも、自刃したとも、捕らえられて処刑されたとも、様々な記述が残されています。それほど彼の武勇は愛され、九尾の狐という化け物退治で活躍したという伝説も生まれ、今でも語り継がれています。頼朝もその功労に感謝し、後に大矢部に満昌寺という義明を開祖とする寺を建立しています。

 義明が亡くなって以降は子の義澄が一族を率います。衣笠合戦を落ち延びた義澄は船で渡った安房(千葉県南部)で頼朝と合流して以降、一ノ谷の戦いや壇ノ浦の戦い、奥州合戦といった重要な戦いで活躍し、宿老の地位を確固たるものとしています。

 『大河ドラマ』という観点から一番注目が集まるのではと期待しているのが義澄の子、義村です。彼は頼朝を中心に確固たる武家政権を作ろうと、2代執権・義時と志を同じくした盟友として知られ、三浦一族の繁栄のピークを築いた人物です。彼の活躍は頼朝が将軍職に就き、開幕以降の政治の場が中心でした。3代将軍・源実朝が暗殺され、源氏嫡流の血筋が途絶えたことで、有力御家人による合議政治体制が整えられます。この有力御家人である評定衆が13人いたことから、ドラマのタイトルにもなっているようです。合議制が始まってからは幕府内の権力闘争が絶えませんでした。彼は親族である和田義盛を敵に回して滅ぼしており、謀略家というイメージも根強いです。しかしそんな彼が最後まで味方したのが主人公である義時でした。冷静に状況を見極め、一族の繁栄を第一に考えられた人物ともいえます」

貴重な史跡、各所に

 ――三浦半島に残る彼らの足跡を教えてください。

 「有名な場所として衣笠城址が挙げられます=写真【1】。当時の城は戦国時代のような防御を考慮した作りではありませんでした。三浦氏は地域の信仰の中心であった衣笠山を取り込んで本拠としました。そして聖地として、一族のシンボルとしました。現存する城跡からも当時のロマンを感じることが出来ます。

 三浦氏の『城』としては久里浜の横須賀自動車学校裏手にある小高い丘にあった怒田城址も注目です=写真【2】。当時は目前に海を臨んでおり、水軍の要所としての色合いが強かった場所です。衣笠合戦で義澄が安房へ落ち延びる際、この地に船溜まりがあったことから『舟倉』の地名が付いたとされています。

 義明の解説で少し触れた満昌寺も忘れてはいけません。国重要文化財である『三浦義明坐像』が宝物殿に安置され、その裏手には市指定史跡『伝三浦義明廟所』もあります。義明を知る上で欠かせませんね。

 同じく大矢部にある神社は義村を祀る神社。すぐ側には父・義澄を弔うために建てられた薬王寺の跡もあります。一族の栄華を築いた義村の墓とされる石塔は三浦市南下浦町にある福寿寺の敷地内に現存しています。

 義明の子、太多和三郎義久の館のひとつがあったとされるのが、葉山町堀内にある鐙摺城址です=写真【3】。『鐙摺』の名は頼朝が三浦を訪れた際、山が急で乗っていた馬の鐙が摺れたことから名づけられたそうです。また小坪合戦で義澄が味方を鼓舞する際、この場所で旗を立てたとされることから旗立山とも呼ばれています」

 ――最後に読者へ。

 「大河ドラマでこんなに三浦半島が注目されるのは100年に1度とない機会であり、今から興奮しています。鎌倉をはじめ、近隣の千葉県などでは行政や市民の方たちがすでに盛り上がりを見せており、多くのファンが訪れることを期待して受け入れの準備を進めています。それに比べ三浦半島の盛り上がりはまだまだ”おとなしい”ように感じます。『自分たちの地元が誇る英雄たち』という見方でドラマを見るとより深く楽しめ、地元をもっと知りたくなり、好きになることに繋がると思います。私だけでなく、皆様にとっても地域の歴史を再認識する機会になることを期待しています。是非一緒になって三浦半島の歴史で盛り上がりましょう!」

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