前号では、三崎エリアの一風変わった地名を紹介した。続く第2弾は、三浦市の”イーストコースト”に位置する南下浦エリアに焦点を当てた。
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まずは、三浦海岸駅のある「上宮田」。早春は河津桜、夏は海水浴や花火、冬は大根干しなど、季節の移ろいを感じる珍しい光景が広がるスポットだ。市内で「宮田」とつく地名は2つある。平安中期の康平年間(1058〜65年)、三浦大介の曽祖父である三浦為継が、三崎・海南神社に供える米を育てる田んぼがあったことから宮田の地名がついた。上宮田は戦国時代から、隣接する初声町「下宮田」は江戸時代からあるとされる。
次は「菊名」。県道215号の海岸沿いには無料駐車場があり、記者もよく取材の帰り道に立ち寄り、波の砕ける音に耳を澄ませながら、心を癒している。菊名の総鎮守・白山神社の口伝によれば、古くは「白山宮」と呼ばれ、戦国時代に三浦一族の家臣として活躍した菊名左衛門重氏の守護神だったという。ただ人物名と土地名、どちらが先についたかは不明。
毎週日曜に朝市でにぎわう漁港があり、沿岸部と谷戸が広がる「金田」の地名は、南北朝時代からあったとされる。1955(昭和30)年から、その上に南下浦町がついた。田んぼに実った豊かな稲穂が、黄金色の波のように揺れる様子にちなんだといわれる。
高級ブランドサバが水揚げされる「松輪」の地名も、南北朝時代から見られた。古くは「松和」とも書いたそうだが、これの由来は謎のままだった。松の木が輪をなして生えていたのだろうか。
最後は「毘沙門」。海に臨んだ中腹の森に「毘沙門堂」がある。その昔、正月3日の明け方、下の白浜海岸に流れ着いた仏像を村人が拾い、堂の建物を作って祭ったところ、僧の行基が通りかかった。「これは尊い」と近くの岩堂山にこもり、さらに一体の毘沙門天像を彫って「一緒に祭るように」と告げて去ったという。以来、知恵と武勇の神として崇められ、特に漁師たちの信仰を集めてきた。歴史の積み重ねから香り立つ文化に、しみじみとした。
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