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三浦版 公開:2024年4月12日 エリアトップへ

記者の目キラリ 地名の由来って? 〜初声エリアの巻〜

文化

公開:2024年4月12日

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畑を見下ろす電柱の看板に記載された「高円坊」
畑を見下ろす電柱の看板に記載された「高円坊」

 2号にわたり紹介してきた連載もいよいよ最終回。ちょうど今時期は、畑で”せっせ”と額に汗しながら春キャベツを収穫する農家たちの姿が印象的な初声エリアだ。

◇  ◇  ◇

 市民にとっては当たり前に読める「初声(はっせ)」だが、三浦版を担当して間もなかった頃の記者は御多分に漏れず「うぶごえ」と発音し、赤面してしまった思い出のある冠部分の「初声町」から。平安末期から鎌倉初期に活躍した三浦一族の武将である和田義盛が平氏追討後、凱旋した際に酒の席で歌曲『初声』を作って領民に歌わせたという伝説にちなんでいた。また、区の地名ではあるが「矢作(やはぎ)」の由来は、義盛がここで矢を作らせたという言い伝えもあった。

 次に「高円坊」。義盛の孫にあたる朝盛(とももり)がこの地に来て、僧侶になるために剃髪して「高円坊」と名乗り、「随従(ずいじゅう)の士」(お供の者)15人とともに土地を開墾して住んだことが地名の由来とされる。江戸の終わりには「高円坊大根」と呼ばれた品質の良い特産品もあったと見られる。

 夏に海水浴客でにぎわう「和田」は読んで字の如し、義盛が築いた和田城があったことに由来。現在は、和田城址の碑が建てられている。

 初声小学校や潮風アリーナなどがある「入江」は、江戸中期まで海が入り込み、奥深い入り江(陸地 に海が入り込んだ地形)だったという。1708年に同地を埋め立て、水田や畑を作る計画が立てられ、30年かけて新しい耕地が完成。それ以来、「入江新田」などと呼ばれてきた。

 盆に迎えた先祖の霊を藁船に乗せて海に送る江戸時代後期から伝わる行事「オショロ流し」(御精霊流し)で知られる「三戸」。この地名は、かつて内田太郎、庄司次郎、海戸五郎という3人が土地を分け合ったことによるという。三浦一族ゆかりの三戸友澄という武士が「承久の乱」(1221年)で戦死し、その家臣が前述した3人という説もあった。

 「任務完了」と言いたいところだが、文字数の都合で載せられなかった地名もまだまだあるので悔やまれる。ただ実際に調べてみると、地名の数だけ物語があり、先人が紡いできた思いを汲み、じんわりと胸にこみ上げてくるものを感じた。

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