タウンニュース三浦編集室が開催する「人物風土記」=写真=の回顧展の会場に、うらり2階ロビーも加わった。会期は6月21日(金)から30日(日)まで、各日午前9時から午後5時まで。
三浦市民交流センターニナイテ(ベイシア三浦店2階)では、6月21日(金)から23日(日)、午前9時(初日は正午)から午後9時(最終日は4時)。
2006年6月の三浦版創刊以来、毎号一人に焦点を当て、その活動や取り組みから浮かび上がる人物像を紹介するコーナー。これまで登場した地元ゆかりの約450人は、政治家、経済人、スポーツ選手、お笑い芸人と多士済々の顔ぶれ。
会場では、読みやすいサイズに拡大して展示。創刊号から最新号まで、紙面に掲載した人々の"顔"がずらりと並ぶ。いずれも入場無料。
あの日 あの頃プレイバックみんなの声援が力になった
2008年1月18日に発行した第42号では、青山瑠衣さんを紹介した。「三浦国際市民マラソン」(5Kmの部)で3連覇を達成するなど、当時紙面をにぎわせた陸上選手。タイトル「夢は日の丸を背負って」を改めて見て、「結局、夢は果たせなかった」というが、その表情は爽快だ。
2歳上の兄に誘われ、初声中で競技を始めた。「最初は走るのが苦手だった」というが、生来の負けず嫌いな性格が功を奏し、才能が開花。名門・白鵬女子高に進学した。取材したのは、3年の時。「インターハイで1度入賞しただけで、ケガで悩むことの方が多い青春時代だった。でも、先生や周りで支えてくれた人たちの声援が力になった」と振り返る。
卒業後、シドニー五輪女子マラソン金メダリストの高橋尚子らを育てた故・小出義雄氏が指導する豊田自動織機に入社した。12年にはユニバーサルエンターテインメントに転籍。全日本実業団駅伝では1区を区間賞で初優勝に貢献した。小出氏について青山さんは「こんなに褒めてくれるんだというほど優しかった。選手のことを分かってくれた」と述懐。その後も同駅伝に10回出場する偉業を成し遂げたが、年齢的な限界を感じ、今年3月で選手引退を決めた。
千葉から実家の和田に戻ってきたばかりの青山さん。子どもが好きで、第二の人生に選んだのは保育士だった。現在、資格取得を目指し、横浜の専門学校に通っている。「あたたかい地元の人に応援されてきた。今度は私が地元の子どもたちにあたたかさを伝える番」
![]() 第42号 青山瑠衣さん(18歳→35歳)
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