三浦の散歩道 〈第53回〉 みうら観光ボランティアガイド協会
三浦海岸行きのバス停「松輪」のすぐ近く、右へ入る道の入口に、赤い頭巾を被った「お地蔵」をはじめ13の石塔がみられます。半分の6基は「猿田彦大神」や「庚申供養塔」ですが、「観世音菩薩」を刻してある石仏が3体で、いずれも江戸期の天明年間や寛政7年の年号が記されています。
中でも一番古いものは安永7年(1778)の「庚申供養塔」です。松輪の地は「庚申塔」が多いと聞いていましたが、そのようです。自然を相手に生活をする農業や漁業の人々は信仰する心が厚いのでしょう。
道をさらに進んで行きますと人家がきれる左側が畑で、道も左へと少しカーブしているようです。やがて小さな辻に来ました。右は坂の下りになって「福泉寺」に至ります。歩いて来た方向の正面に朱塗りの鳥居が見えます。田鳥原地区の「稲荷社」です。社殿は3・6メートル四方ぐらい。入口は両開き木の戸で、屋根は紅色の瓦葺になっています。社殿の周囲は桃色のモルタル塗りになっており、仲々洒落(しゃれ)ています。入口の左右に狐の石像があります。右側の台座には「奉」の字が彫られ、狐は「宝珠」を持っています。左側の台座には「納」の文字があり、狐の姿は岩のようなものに右足をかけているように見えます。
今年もあとわずかですが「安全」を祈願して、山門の見える「福泉寺」へと向いました。松輪で唯一のお寺です。
立派な山門の脇に「臨済宗千光山福泉寺」と記された石柱が見られます。右の山側に昭和56年に造られたという6体の石造りの地蔵菩薩像が祀られています。「六道抜苦」の思想なのかは不詳ですが、禅宗の寺ではあまり見たことはありません。6体の地蔵尊に、向かって右から「法性」「陀羅尼」「宝陵」「宝印」「鶏兜」「地持」の文字がそれぞれ台座に刻字されています。その背後に「供養塔」と思われる石塔も見られます。山門を入って左手に「是法平等」と記された石碑があります。碑の裏側に日清、日露、第二次の各戦争で亡くなったこの地の方々の氏名が里ごとに記されています。
本堂に向かって少し進むと、同じ左手に「第五六震洋特別攻撃隊、岩舘部隊の碑」と刻字された石板があり、手前に「海軍特攻記念樹」と書かれた柱も見られました。
「福泉寺」については、『新編相模風土記』によると「千光山」と号す、臨済宗鎌倉建長末、本尊正観音、開山賓溟、元徳元年三月十四日卒」とありますが、開山の名前は「賓溟誉禅師」だということです。開山の亡くなられた元徳元年(1329)を歴史的にみると鎌倉時代の最終末で、2年後には「南北朝時代」になっています。
つづく
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