三浦の散歩道 〈第59回〉 みうら観光ボランティアガイド協会
毘沙門堂の境内はそれ程広くありません。門を入って、左側の「手洗い鉢」は自然石そのままで、正面に「奉納 大願成就 享和二戌正月吉祥日 当所若者中」との文字があります。享和2年とは1802年のことで、今から2百年も前のことです。その奥にも、自然石に「大願成就」と表記され、その下の方に「神仏此の無に在るべしぞ、我身を捧げ世を祈る」とあり、終わりに「鈴木栄吉」とあります。この石碑の裏を見ますと、鈴木伊左次郎、石渡さよ、同萬吉、同長次郎」の氏名が刻まれています。
参道の両脇には石の灯籠があり、下部に右が「奉」で、左が「獻」とあり、裏側に銘があって、右側のものには、「干時(ときに)明治十六年未(ひつじ)一月建立 長井村 石工渡辺定吉」とあり、左側の灯籠の裏側に「世話人 鈴木林蔵 渡辺梅蔵 石渡惣兵衛」の氏名が刻まれています。
さらに石段を上がった左右に狛犬があります。ともに子を連れた像で、右の台座に明治十一年一月 鈴木七郎右ヱ門、鈴木兵左衛門とあり、左に鈴木源兵衛の氏名が刻まれています。正面にある本堂は、入母屋造りで前面は格子のはまったガラスになっています。お堂の左側に裏参道と思われる坂が見え、石段になっています。その手前に石の祠が2つあり、その並びに、高さ80cm程の石塔に「大願成就」の文字と「寄付裏参道、階段、復員有志一同様、時昭和二十四年四月吉日」の文字が読みとれます。このお堂の境内には、3基も「大願成就」の碑があるということは、「白浜神社」として何らかの効験があった証拠なのでしょう。筆子も「願い」が効きますよう参拝をすませ、海岸の方へと歩を進めました。
「白浜毘沙門天」と呼称する、「白浜」とはなぜかと思っていたのですが、海辺へ出て得心がいきました。浜辺の砂が白いのです。貝殻(がら)を多く含んでいるのでしょう。まさに「白浜」なのです。「かながわの花の名所百選」の中で、三浦市は3カ所選ばれています。それは下宮田にある「妙音寺の山百合」、「城ケ島の水仙」そして、もう一つが、ここ「毘沙門海岸のハマダイコン」なのです。4月から6月頃にかけて、岸辺の砂浜に淡い紅紫色の可憐な花が見られます。その海岸へと出ますと、正面からやゝ右寄りに二つの小山が見られます。『目で見る三浦市史』では「毘沙門二子山(左は浅間山)」としています。まさに雌雄の如くです。東側の江奈湾に近い方に島が見えます。「横瀬島」です。昔話に2つの里が互いに自分の方へ「よこせ」と言ったのが元で、この名称が付いたとも言われています。この砂浜と磯を西に向かって進んでみましょう。
つづく
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