三浦の散歩道 〈第67回〉 みうら観光ボランティアガイド協会
「宮川町」とあるバス停から、岩堂山へ向かっての道は右へ曲がりますが、その手前の坂を下って行くとやがて宮川湾へと出ます。道の上を毘沙門バイパスの「宮川橋」が通っています。「民宿まるよし食堂」の看板が見えてきます。宮川湾です。港を周回すると、道端に「関東ふれあいの道」の標識があります。「三浦岩礁のみち」とあり、「盗人狩(ぬすっとがり)へ1・3Km、宮川バス停へ0・5Km」と記されています。近くにトイレもありました。しばらく行くと正面にヨットなどが係留されている所がありますが、左手の山裾の道を進みます。入江の奥で葦をかき分けながらの道を進みます。ただ気になるのは、付近一帯、道の中まで、ゴミの散乱です。ハイカーの落しものでしょうか。途中の藪の中にスカシユリの群れも見られます。「岩礁のみち」の案内板に「入り江のいきもの(宮川湾付近)」とあり、植物の写真と共に説明がなされています。それによると「イソギク」、「イチモンジセセリ」、「ハマボッス」、「ハマダイコン」等々が上げられています。
岩場を行くと右手に30m程の小山が見えます。「観音山」です。その東南の岩礁地は平らで広く開けています。「千畳敷」と言われるところです。ここに沢山の直径30cm程の円形のくぼみが見られます。何かと疑問に思っていましたところ、三浦の郷土をいろいろと調査研究をされている三浦福助さんの論文『海の恵み』の中に次のようにありました。「(前略)太平洋戦争の頃、ここには海水から塩を採る作業場があったのです。(中略)柱を立て、これにむしろのようなものをかけてあり、これにポンプで海水を吹きかけていたそうです。このむしろは天日で乾燥して塩分がたまり、これを方形の水槽に集めて濃い海水を作ったようです。この濃縮した海水を釜で煮詰め、塩を採取したのだそうです。(中略)宮川の古い人は『塩炊き場』とも呼んでいます。」と書かれています。昭和30年代には廃墟となってしまったようです。沢山の溝は何んだろうと思っていましたが、これで得心がいきました。また、ここには長さ3m程で幅1・5mの長方形をした槽も見られました。ここ「千畳敷」からは、城ケ島大橋も眺められ、目を南に向けますと、城ケ島の東端にある「安房崎灯台」もよく見えます。
岩礁に打ち込むように、白い石に「関東ふれあいの道」と彫られ、長形の棒に色彩をつけ、「宮川町3・0Km松輪8・0Km」と刻まれています。なる程、この道は、と言っても、岩礁がどこまでも続く「岩礁のみち」で、入り江になったりして、「盗人狩」へ続いています。
つづく
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