萩園中学校出身で現在、社会人野球チーム・日本新薬でプレーする倉本寿彦選手(23)が10月23日に行われたプロ野球ドラフト会議で、横浜DeNAから3位指名を受けた。
京都府にある日本新薬(株)本社の講堂に取材陣を招き入れ、岩橋良知監督、齋藤均部長と共にドラフト会議の様子を見守った倉本選手。横浜からの3位指名が発表され拍手と歓声が起こると「名前が呼ばれてとにかくほっとしました」と安堵の表情を浮かべた。
倉本選手が挑んだドラフト会議は今回が2回目。横浜高校3年の時に甲子園出場を果たし、創価大学では主将も経験。期待を胸にその年のドラフト会議で指名を待ったが、最後まで名前を呼ばれることはなかった。「あの時の悔しい気持ちはもう2度と経験したくない」と、同社野球部に入部後は評価の高かった堅実な守備に加え、打撃力の向上にも努めた。今年9月に韓国で開催されたアジア大会に侍ジャパンとして出場するなど着実に経験を積み、今回は即戦力としての期待を受け、晴れてプロ入りとなった。「横浜は小さい頃から見ていた愛着のあるチームで、地元に近い場所で野球が出来るのはとても嬉しいです。がむしゃらさを出して『横浜・倉本』の名前が売れるようチームに貢献していきたい」と意気込む。
努力の人
主に遊撃手として活躍する倉本選手は、萩園中時代は寒川リトルシニアで投手・内野手兼任でプレー。当時は「もう帰れ」と言われるほど真っ暗になるまで練習していたという。進路を決めるにあたり横浜高校への進学を希望したが、当時を知る関係者は「目立って上手い選手ではなかった。ベンチ入りも難しいと説得したが頑として聞き入れなかった」と話す。入学後は家族に「野球をやめたい」とこぼすほど苦闘が続いたが、なんと1年秋の大会からベンチ入り。その後レギュラーとして2回の甲子園を経験した。「夢を持ち、目標を立て、努力で目標を達成する。チームの選手たちはもちろん、我々スタッフも皆が彼のことを尊敬しています」と前出の関係者。チームの恒例行事には毎年必ず顔を出すほど礼儀を重んじ、地元を愛す。母親の智恵子さんは「指名されて嬉しい。でもこれからのほうが大変。気を引き締めて頑張ってほしい」と息子にエールを送った。
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