1月4日(日)・10日(土)開催のかるた大会で使用される「茅ヶ崎かるた」の原画を描いた 栗田 武則さん 柳島在住 74歳
仲間入りの嬉しさも表現
○…「他所者だった俺を仲間にしてくれた柳島と茅ヶ崎に感謝しているんだ」。ニッコリと語る表情は生き生きしている。近い夢は、柳島に残る史跡や昔の農具などを見やすく展示し、ガイドブックなどを完成させること。「大きな夢は、茅ヶ崎全体のお散歩マップを作ること。でも、まずは大好きな柳島からだよね」
〇…山形県の農家で生まれ育ち、農業高卒業後は当然のように農業を営む人生が定められていた。しかし「一生農業やるのだから、2年間自由にしてほしい」と家族に懇願。宮城の姉を頼り、工場勤務などを経験した。だが「当時は就職難で。神奈川に『本雇い』があると聞いてね」。見事難関を突破し、半導体の技術者の道を選び、結婚後しばらくして茅ヶ崎へ移住した。
〇…定年まで勤めあげたサラリーマン時代は開発に明け暮れる多忙な日々。妻と4人の子どもが住む柳島での生活はほぼゼロだったという。そんな働き盛りの40代の時、「現代の名工」として労働大臣から表彰され、本紙の取材を受けた。「地域新聞に載ったことで、それまで繋がりがなかった人まで話しかけてくれて。柳島の一員になれるきっかけとなった」と目尻のしわから嬉しさがにじみ出る。
〇…学生の頃からスケッチが好きで、職場近くの多摩川もよく描写し社内で発足した「絵画クラブ」にも所属した。そんな経験が噂を呼び、退職後により親しくなった地域の人からの紹介で「茅ヶ崎かるた」のデザイン画を依頼された。五十音の読み札は出来上がっており、それを郷土愛をもって上手く表現する絵の考案のため、読まれた市内名所には殆ど足を運んだ。
〇…現在は柳島を拠点とする下水道処理に係る公害対策の委員長を務めている。孫も住んでいる茅ヶ崎。退職後には山形に戻る選択肢もあったが「柳島とタウンニュースは、僕の人生を変えてくれた」。この言葉とともに、光った笑顔は一生涯忘れられそうもない。
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