避難者受け入れ『協働』の真価示せ
被災地への善意が市内でも広がっている。本紙ではこれまで、企業や市民団体が義援金や支援物資を集める姿を報じてきた。街頭で声を枯らして募金を呼びかけるボランティア。売上の一部を義援金にあてる企業や商店。現地まで炊き出しに出向く市民もいる。多くの市民が被災地の力になろうと、ひとつになっている。
その中で、平塚市も先月22日、被災者受け入れのため、総合体育館に2百人規模の一時避難所を開設した。しかし、2週間経った4日現在も避難者の姿は見当たらない。それもそのはずだ。被災地への直接的アナウンスは市のホームページに掲示するのみ。開設期間も4月30日までに限っている。
東北にいる被災者がどんな方法で平塚市の行政情報を検索し、1ヵ月ばかりの滞在のために遠方から足を運ぶのだろうか。大蔵市長以下、市職員には形ありきの姿勢ではなく、もっと現実的な動きを求めたい。
受け入れ環境も万全とは言えない。避難所ではトイレやシャワーが利用でき、毛布を用意するとしてはいるが、食事や生活物資については避難者の自己負担を求めている。市議会議員のひとりは、「全く消極的な開放だ。被災地の体育館からお招きし、何も用意されていない体育館に入って下さいというのは、お粗末な対応としか言いようがない。総合公園にはきちんとした宿泊所もある」と憤る。
支援活動に乗り出している市民団体の関係者も、「支援に関する市からの協力要請は未だに何もない。避難所の開設も初めて耳にした。炊き出しなどの支援は、呼びかければボランティアは幾らでも集まる。自宅の空き部屋に宿泊してもらってもいいという家庭もあるはず。行政は少なくとも市民の善意を引き出す働きかけはして欲しい」と話す。
多くの避難者を長期滞在させるには、行政の力だけでは限界があるだろう。しかし、こんな時だからこそ、大蔵市長には2期8年で培った「協働」の真価を発揮し、官民一体となった支援に道筋をつけて、次期市長に襷(たすき)をつないでもらいたい。平塚市の旗印に市民の善意と知恵が集まれば、このまちで出来うることはもっと大きく広がるはずだ。
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