港地区住民9人からなる「須賀史談会」(清田宰宏会長)が11月28日、地域史をまとめた冊子『須賀ものがたり(戦後編)』を刊行した。戦後70年の節目に平塚大空襲から復興、発展を遂げた激動の昭和をたどるため、年表や土地の著名人、地域団体の歩みなどを125ページに編集した。
完成した冊子や史談会の話によると、「戦時中3分の1の土地が軍需用地だった」という須賀は1945年の空襲でほぼ全焼。焼けトタンで建てたバラックで雨露をしのぎ、子供たちは青空教室や旧海軍分工場宿舎などで教育を受けた。
戦後の土地区画整理事業が始まると、50年に競輪場、翌年には漁港が整備され、67年に国道129号線が完成。インフラ整備が進み、今の姿へ発展を遂げた。
冊子に掲載した「須賀年表」にはそんな地域の歩みをまとめ、昭和天皇、皇后両陛下が55年の国体自転車競技の観覧で行幸されたことや、地域で親しまれた映画館「名画座」が72年に閉館したことなど、須賀の出来事を詳しく記載。土地の著名人にも光を当て、平塚・中郡で初の女医となった清田華さんや、油彩画家の鳥海青児さんらに関するコラムも掲載した。
座談会開き肉声も記録
さらに史談会では、終戦前後の混乱期を地域で過ごした人を集め、座談会を企画。国民学校高等科(現中学1・2年)で120人が木炭トラック3台の荷台に乗って箱根へ遠足に行った話など、当時の生活を知る人の肉声を掲載した。
清田会長(82)は「次世代に地域の成り立ちを伝えるため、子供にも読みやすく、お年寄りには思い出として読めるような一冊に仕上げた」と目尻を下げる。
須賀ものがたりは今回で2冊目。2009年発行の前作は、平塚市が当時進めた「地域の歴史再発見事業」の中で、現史談会メンバーらが25回にわたり発行した同名の機関紙を元に、空海の来航した形跡を残す平安時代から戦後までの地域史をまとめた。今回は戦後70年にあわせ、空襲からの歩みに焦点を当てたという。
同会の府川大作副会長(77)は「我々は須賀の戦後を伝えられる最後の年代。その引き継ぎが出来たのでは」と話していた。
冊子に関する問い合わせは須賀公民館【電話】0463・21・2152。
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