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100周年迎える「令和」時代 平成特集特別寄稿 これから求められる幼児教育学力重視から新領域へ 学校法人恵泉女学園 学園長 中山洋司
終わりゆく平成の時代を前にして、平塚二葉幼稚園とゆかりのある、学校法人恵泉女学園長である中山洋司学園長の寄稿を紹介した。これを受け、本紙では平塚教会の牧師で平塚二葉幼稚園の園長を務める北川一明さんにインタビュー、5年後に100周年を迎える同園の新時代におけるあり方などについて聞いた。
「平塚二葉」という学びの場つよい心とやさしい気持ち
中山さんが平塚教会員で、北川さんともに教育者であることから、北川さんと中山さんは教育についてしばしば話し合っているという。
平成が終わり「令和」時代の幕が開けようとしている今、北川さんは中山さんの「氷山の学力観」を受け、平塚二葉幼稚園が目指す幼児教育のあり方を語った。
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親は、愛する子どもの能力と可能性を最大限に活かしてやりたいと願う。幼いうちから文字や数、外国語を詰め込めば吸収は早いかも知れない。しかし、バランスの取れた発達が損なわれ、学校ではかえってつまずくケースもある。
北川さんは「文字や数、外国語などに対する興味や関心を引き出してあげることは大切です」と前置きする。そのうえで「無理に覚えさせるより、中山さんのおっしゃる『見えにくい学力』『支えの学力』の基礎を培うことが、幼児期にはより重要です」と強調する。同園が自尊心、自主性、創造力を伸ばし、協調性を身に付けさせるのはそのためだ。そうすれば、子どもの能力と可能性はより伸びるというのが同園の考え方だ。
地域には大人数の園もあれば、比較的少人数の園もあり、クラス規模もさまざま。園児一人ひとりにどれだけの主体性を認めるかという点も園によって大きく異なる。そうしたなか「当園では園児の主体性を相当に容認しています」と、北川さんは園の指導方針を語り始めた。
同園は、細かいカリキュラムで園児を管理するということをしていない。「子ども一人ひとりに、それぞれの考えを持たせながら、子どものアイデアで遊びを作り出させています。当園の保育者たちにとっては大変労力のかかることですが、それを日々実践しています」
社会性が十分に発達していない園児に、そこまでの自由度を与えることにリスクはないのか―。
自由に遊ぼうとする園児たちには、好みの対立、幼いなりに持ち合わせている意見の対立が頻繁に生じる。園児も千差万別。言葉の強い子、態度で主張する子、主張するのが苦手な子など…。そして、当事者たちはやがて涙を流すことに。「そういう時が教育者として勝負の時」と北川さんは言う。
子ども同士が対立した際、泣かせてしまった側を一方的に加害者とすることは決してない。当事者や周囲の子どもたちからていねいに事情を聴き、それぞれの思いを引き出す。保育者にとって時間のかかることであるが、時間をかける。
「すると子どもたちは次第に他者の気持ちに関心を持ち、共感や自然な同情心が生まれます」。友だち同士で涙を拭い合い、笑顔が戻る。「園児にとっても保育者にとっても最高の時ではないでしょうか」と北川さん。
北川さんは聖書を引いて「神は、涙をことごとくぬぐい取ってくださる」と紹介。「涙が悪いのではない、拭い去られずに残る涙が悪い。拭い去られるのであれば、涙はむしろ善いもの。真剣に誠実に生きようとすれば、涙を流さざるを得ないことがある。それが人生だと思います」
最後に、同園が大切にしているモットーを紹介する。「つよい心とやさしい気持ち」―。これは、100周年を目前に控えた同園が昨年から掲げているメッセージである。
なぜ「つよい心」と「やさしい気持ち」なのだろうか。同園での幼児教育が、園児たちの長い長いこれからの道のりを見越しているからだ。
「テロや自然災害、国際関係の緊張で、平成の30年間は私たちに将来が不確実であることを思い知らせました。技術は革新・進歩を続けています。そのことも自分が置き去りにされやしないかという不安をかき立てます。そんな現代にあっては、挫折を乗り越える『つよい心』と他者を理解し配慮する『やさしい気持ち』を持ち続ける人が、自分と隣人を幸せにします」
一世紀に迫る同園の歴史は「その時代を生きる子どもにとって必要な教育とは」を考え続けた時間の集積である。北川さんは「私たちの教育・保育の考え方やその実践が、紆余曲折を経ながらも、地域に受け入れられてきたのだと考えております」。
『平塚二葉』という学びの場は令和の時代も光り輝いていく。
「教える」から「見つける」へ
私は50余年の教職経験から、学校教育の目的は「子どもの個性を磨き、たくましく自律していける学力を身に付けさせることである」と捉えています。そこで、子どもを氷山に例えて、身に付けさせる学力は何なのかを述べてみます。
氷山は、海面上に出ている見える部分と、隠れて見えにくい部分よりできています。子どもの学力も同様に「できたか否か」が分かりやすい見える学力と、判定しがたい見えにくい学力に分けることができるのではないでしょうか。
上級学校への進学には、この見える学力(知識・技能)が偏差値という言葉に置き換えられて子どもの学力を測定し、合否の判断を決定しています。ところが、評価しがたい思考力・判断力・問題解決力・精神力などの見えにくい学力は、人間の成長にとって重要であると認識していても、合否の判定にはほとんど用いられていません。
私は、偏差値不必要論者ではありません。ただ、偏差値のみに一喜一憂する学力では個性豊かでたくましく自律する子どもは育っていかないと思います。今まで私たちは、人間を育てる教育よりも受験に打ち勝つ丸暗記重視の学力にいつの間にか巻き込まれてしまったように思えてなりません。
氷山の成長にはもう一つの要素があります。氷山を取り巻く環境要素です。子どもの成長も同様です。自分を取り巻く家族・友人・教師・社会・自然…等々、すべてが成長の要因となります。そしてこれらと関わり・支えられ・教わりながら、主体性・共働・愛・感謝・価値観…等が生じてきます。そして、他者との関わりの中で自分を磨きつつ、たくましく自律する人へと成長していくのです。私は、この学力を環境要素に支えられて育つ「支えの学力」と名付けています。
私は、私たち大人も環境要素の一つであると捉えています。私たち大人の仕事は、子どもが自分で個性を磨きたくましく自律する方向へと導くことであります。そのためには、程よく管理と放任をし続けることが肝要であると考えます。
2020年度から大学入学共通テストは「思考力・判断力・表現力」を重視し、脱暗記に大きく舵を切ります。また、大学入試改革では、学力の三要素「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「主体性をもち多様な人々と協働して学ぶ態度」を総合的・多面的に評価しようとしています。
これからの教育は、自分で考え自分で答えを見つける子どもに育てていくことであります。具体的には「答えを教える教育」から「答えを導く方法を選択させ、答えを自分の力で見つける教育」へと転換する。まさに、氷山の学力観に示されている、見えにくい学力と支えの学力を豊かに育てながら、その結果子どもが主体的に見える学力を獲得していく教育を行うことが重要となるのではないでしょうか。
(了)
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