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平塚・大磯・二宮・中井 社会

公開日:2019.04.04

平成の証言
元市長 吉野稜威雄(いつお)氏

  • 自作の油絵の前で吉野氏。夫婦での旅行や家庭菜園など趣味を楽しんで過ごしている

    自作の油絵の前で吉野氏。夫婦での旅行や家庭菜園など趣味を楽しんで過ごしている

湘南市庁舎「平塚で合意」

 「昭和天皇崩御の弔問記帳で訪れた皇居前広場は、どんよりとした曇り空の下で沈痛な面持ちの人が長蛇の列をなしていました。中曽根元首相の秘書時代、その情景は今も鮮明です。時代の先行きが見通せず、曇り空が晴れないままに過ぎた印象」と平成を振り返る。





 吉野稜威雄氏はバブル崩壊して数年後、阪神淡路大震災のあった平成7年に市長に就任。「財政が厳しく都市整備はできないが、平塚の財産を再発見、再確認することで郷土への愛着、誇り、やる気が持てるまちにしたいと思った」と振り返る。





 在任中は、ふるさと歴史再発見事業をはじめ、木谷實や村井弦斎の功績に光を当てた。町内福祉村を創設、馬入花づつみを整備するなど、地域力の掘り起こしに努めた。





 ベルマーレの経営から親会社が撤退する時、存続のためには平塚だけでは支えきれないと、Jリーグの川淵三郎チェアマンに直談判、チーム名に湘南を冠す理解を得た。





 湘南市構想は、平塚・藤沢・茅ヶ崎・寒川・大磯・二宮の枠組みで各首長と研究会を発足、会長として主導した。「行財政の効率化だけではなく、世界に通用する政令市として発言力を強め、企業立地も見込めると考えた。研究の気運が高まらなかったのは残念だ」と話す。





 構想の発端は、平塚と合併したいという当時の山本捷雄・藤沢市長の持ち掛けだったと明かす。「耳を疑ったが、土地のない藤沢にとって平塚の公共用地や施設を使えるのが魅力だと聞いて腑に落ちた」という。主導した2人の間では一定の絵図も描かれていたようだ。





 「湘南市庁舎の場所が議論先行すると研究に支障があるので公にしなかったが、実は平塚に置くことで合意していた。見附台体育館の跡地を空けたのは庁舎建設する思惑があったから」と明かす。





 さて、今の平塚市。「東京駅始発の電車がなくなり、帰りはグリーン券を買っても座れない。東京の通勤圏でなくなるのは平塚の大きな痛手なのに、地元政治家がなぜ反発しないのか解せない。地方創生の視点から、東京駅は電車が発着するターミナルであるべきという物言いがあっていいはず」。





 また「平塚の財産である湘南平の開発整備を検討しては。吾妻山公園の菜の花畑のようなアイデアや散策路の整備も考えられる」とも。明治150年で観光拠点化する大磯と連携する枠組みを作れば、きっと魅力的な観光地になると考える。





 そんなもどかしさも感じながら、令和の平塚を見守り続ける。

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