東日本大震災発生を受け、平塚消防からも県の緊急消防援助隊として被災地に駆けつけた隊員がいた。神奈川県隊の第2次派遣隊に参加した平塚市消防署警備第二課警備担当長の松尾貞徳さん(53)は「できたことはわずか。もどかしかった」と当時を振り返る。
阪神淡路大震災を機に創設された「緊急消防援助隊」は、大規模災害時に都道府県単位で編成される部隊のこと。東日本大震災では、平塚市から消火隊2隊、後方支援隊3隊が仙台へ3回、救急部隊6隊、後方支援隊5隊が福島に6回、計48人が25日間派遣されている。
平塚市からは先発の9人の隊員が14日朝5時30分に消防庁舎を出発。川崎市消防局訓練場で他の市町から派遣された約50隊・240人と合流し、一般車の通行止めが行われていた東北自動車道を通って午後5時過ぎに宮城野消防署(宮城県仙台市)に到着した。
「津波の浸水地域に入った途端、景色が一変した」と松尾さん。被災地に向かう道中、これまでの訓練や経験を反芻していたが、「津波被害はどんな想定をも超えていた」と話す。
現地では宮城野消防署近くの駐車場の敷地を借り、野営場所を設営。仮眠場所の確保や活動用資機材の受け入れなどの後方支援のほか、横浜市の部隊の指揮のもと、広範囲をローラー式であたる検索活動を行った。担当したのは津波が到達した蒲生地区七北田川周辺。地元消防からのレクチャーの際、「例え休憩中でも、歯を見せて笑わないでほしい」と念押しされたが、瓦礫の中から荷物を運び出す住民の姿を見ると、「とてもじゃないが、笑顔になれるような状況ではなかった」。
津波が引かず、地震発生から丸一日手がつけられなかったという現地は雪が散らつき、頻繁に余震もあった。瓦礫の中、検索活動をしていると写真やランドセルなど、思い出の品と思われるものが目に入り、足が止まった。生存者を発見することはできず、松尾さんたちが参加した部隊では4遺体を収容した。
松尾さんは「こうした経験談を通して、改めて災害への意識を持ってもらえれば。飲料水や食料など可能な限りの備蓄をすることや、どんなに時間がかかっても、必ず救助が来ることを考えて行動してほしいです」と話していた。
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