設立30周年を迎えた平塚市美術館の歴史を、3回連載で振り返る。最終回はひらつか市展委員会第4代会長の加藤宏さん(72)に話を聞いた。
ひらつか市展は、美術館設立運動が活発に起こるなかで開催された。戦後、平塚の芸術家らは「絵画・彫刻」「写真」「書道」「工芸」の4部門に分かれ、それぞれが展覧会を開催していた。他市で市主催の展覧会が開催されていたことから、4部門の代表者を中心に、合同の美術展開催を市に呼びかける。1955年、56年に平塚市教育委員会主催で展覧会が開催されたが、後に「平塚市文化祭」となり、当初の希望と異なった形での実施だった。「文化祭は日ごろの成果を発表する場で市展はコンクール形式で腕を競う場。同じ公募作品を扱う展示でも意味合いが違うんです」と加藤さんは話す。
代表者たちは市民の力で市展を行おうと地元企業へ市展開催に向け、協賛のお願いにまわり、正真正銘の第一回市展が77年、平塚市後援で開かれた。平塚市美術館の実現を目標に結束し、部門ごとに梅屋、フクスケ画廊、市民センター又は商工会議所の3会場で実施。第5回展からは中央公民館で4部門の合同開催、平塚市美術館が設立された91年の第14回展から、特別展示室と市民アートギャラリーで開催された。「市民の作品が美術館の展示室全体を使って一堂に並んだことが感動的だった」
来年で44回目を迎えるひらつか市展。「美術への関心の高まりが、美術館設立や市展開催に寄与した。当初平塚は抽象画の現代美術が多く、その難解さもあり馴染み難さがあったが、徐々に具象など多様なジャンルが現れ、市民にとって芸術が身近になっていったように思う」と加藤さんは振り返った。(了)
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