県立平塚盲学校(佐藤元治校長)小学部4年生3人が3月8日、社会科の授業で、1910年に同校の前進となる学校を創設し「金目の鍼医さん」として知られた秋山博(1863―1918年)ゆかりの地を歩いて回った。金目エコミュージアム(米村康信会長)のメンバーが解説し、児童らは史跡に触れ、まちの音に耳を澄ませた。
当日は、金目川にかかる木橋「前河原橋」、秋山博の遺髪が埋葬された墓と、盲人学校が一時教室を借りた育英学校の石門が残されている「寂静寺」、境内に美しい音が鳴る水琴窟や釣鐘がある「光明寺(金目観音)」を訪問。児童は育英学校の石門に触れて大きさを感じたり、金目観音で釣鐘をついて音の重厚さに驚いたりしていた。
これまでも秋山博について勉強してきた児童たちは墓前に立つと、「僕たち111年後の生徒ですよ」「ちゃんと秋山先生の思いはつながれています。安心してください」と声をかけた。
秋山博は13歳の頃、病気で失明。金目の鍼医のもとへ弟子入りし、20歳の若さで鍼灸院を南金目に開業して成功を収めた。秋山が次に目指したのが目の不自由な子供達の学びの場を作ること。金目の自由民権家の資金援助もあり「私立中郡盲人学校」を金目の旧キリスト教会内に開校した。