「戦争の犠牲は市民」 平塚空襲の体験者語る
7月12日から8月16日までを平和月間に定めている平塚市は、平塚空襲の体験を聞く会を四之宮公民館で12日に開催した。「平塚の空襲と戦災を記録する会」の江藤巌会長(81)と杉山喜一さん(82)が空襲で家族を亡くした体験を語り、市内外から集まった約70人が耳を傾けた。
当時13歳だった杉山さんは空襲警報に飛び起き、家族7人で隣の寺の境内へ逃げた。しかし、姉妹のもとに焼夷弾が落ち、妹は炎に包まれ、姉が腕を負傷。翌日、リヤカーに妹を乗せて病院を探したが、治療を受ける前に妹は息を引き取った。杉山さんは「戦争は兵隊だけでなく、大勢の人が犠牲になる。我々が声を上げて戦争のない日本にしていかなければ」と訴えた。
5人兄弟姉妹の江藤さんは防空壕へ逃げ込んだ際に青白い閃光が走り、大やけどの重傷を負った。意識が戻ったのは1週間後。一晩で姉妹弟3人を失った。「身内が『私たちの死を無駄にしないで』と言っている気がする。平和を自ら築いていくことが必要」と述べた。
親子で訪れた佐々木悠斗くん(大野小学校5年)は「爆弾のやけどでおでこの皮がむけた話にびっくりした。戦争はやってはいけないと思った。いろんな国が仲良くしてほしい」と話した。
平塚空襲があったのは1945年7月16日の深夜11時32分から17日午前1時12分まで。B29爆撃機から44万7716本もの焼夷弾が投下され、505人が死傷、街は焼野原となった。
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