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平塚版 公開:2018年12月13日 エリアトップへ

顔に炭塗り「男のふり」 姉妹で空襲を経験

社会

公開:2018年12月13日

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智子さん(左)と千鶴子さん
智子さん(左)と千鶴子さん

 馬入本町の真福寺に生まれた飯塚智子さん(86)、秦千鶴子さん(83)は4姉妹の3女と4女。13歳と10歳のときに平塚空襲を経験した。「子供や孫に、同じような思いはさせたくない」と、73年経っても褪せない記憶を辿る。

 1945年、智子さんは平塚高等女学校(現・平塚江南高校)2年生、千鶴子さんは平塚第三国民学校(現・松原小学校)4年生だった。授業はなく、千鶴子さんは麦踏みなどの勤労奉仕、智子さんは校内で竹の骨組みに布を張るグライダーの羽根部品を作っていた。

 家族は両親と祖母、育ち盛りの4姉妹。ぬかと麸(ふすま)、小麦粉を、ブリキを敷いた木箱に入れ、電気ソケットから電流を流してパンを焼いた。「美味しくなかったけど、一口ずつ齧(かじ)った。4人を育てるのは大変だったと思う」と千鶴子さんは話す。

 空襲があった7月16日の夜、空は照明弾で明るくなり、大磯方面からザーザーと雨のような音が聞こえた。その音は近づき、焼夷弾だとわかった。火の手に囲まれ熱くてたまらず、布団を庭の池に浸してかぶった。両親と一番上の姉が消火にあたり、残る3姉妹は寺の本尊を抱く祖母の手を引き、本堂裏のナス畑に逃げた。

 夜が明けると家を失くした約50人の近隣住民が焼けずに済んだ本堂に集まり、バラックができるまでの1カ月半ほどは足の踏み場もなかった。仏様に手を合わせる余裕もなく、焼け残ったイモやニワトリを拾ってきて分け合った。

 終戦後広まったのが「女は顔に炭を塗り、坊主にして男のふりをしないと米国に連れていかれる」という噂。「坊主は嫌で、短いおかっぱにした。今思うと変だけど、怖かったからやるしかなかった」と智子さん。国道を走る米軍車からガムやパンを貰うのが楽しみで、千鶴子さんは「『ギブミーチューイングガム』が唯一わかる英語だった」と笑う。

 智子さんは「自分も母になり、あの頃の親の気持ちを考えるとどんなに辛かっただろう」とつぶやく。二人は母の背中を思い出しながら「よく生き残れた」と頷きあった。
 

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