おととし4月〜東日本大震災の被災地へ1年間派遣されていた、平塚市職員の小泉健太郎さん(36)。震災から10年の区切りを迎える今、あらためて「防災について考え、行動を」と呼びかける。小泉さんが被災地で感じ目にしたことや経験したこと、そして思いとは。
平塚市は1997年に災害時相互応援協定を宮城県石巻市と締結。11年に発生した東日本大震災以降、物的支援だけでなく延べ62人の市職員を派遣するなど人的支援も継続している。市職員の小泉さんは、テレビで観た津波の映像に衝撃を受け、「被災地で力になりたいと思っていた」と自ら立候補し石巻市へ。復興政策部震災伝承推進室で業務にあたった。
命守るため伝えていく
三陸海岸で過去に津波が起きたと伝える石碑が設置されていたが、再び被害を受けた地域があったという。平塚に戻ってきてから「過去に学ばなければ」とJR東海道線の平塚―茅ヶ崎間にある関東大震災で倒れた橋桁の土台に目が向くようになったり、「今地震が起こったらどう行動するか」と考えたりするなど意識に変化が生まれた。
「私に防災の知識が豊富にあるわけではない」とした上で「どんなに備えても意識がなければ意味がない。防災について考え、どう思ったかで結果的に行動に結びついていくのでは」と平塚市民に意識の大切さを呼びかける。
今は総務部行政総務課に務める。直接派遣が役立つ仕事ではないが、地震などの有事の際は避難所に配備される職員でもある。「経験が生きる場面はある」と市民に経験を伝えていくという。
被災地と向き合えた
当時の主な業務は、震災遺構の整備に関わる設計業務。津波によって児童・教職員ら84人が犠牲となった旧大川小学校と、275人が裏山に避難して助かった旧門脇小学校の整備に携わった。
業務は「複雑な気持ちになることが多かった」と振り返る。住民間では遺構に防災意識の啓発や街の活性化につながる期待を込め、保存に賛成の意見がある一方、「見るのがつらい」「壊して他の施設を作って」といった反対の意見もあった。
小泉さんは「地域住民やご遺族の声を反映したかったが、一人ひとりの思いが違い、落としどころが難しかった」と当時の苦悩を明かす。それでも「いい経験だった。一番被災地と向き合える仕事だった」と小泉さん。
関わった旧大川小学校は今年3月に震災遺構の工事が終了し4月以降、震災の記憶を次代に伝える資料館などとして利用が開始される予定だ。「コロナが落ち着いたら見に行きたい」と完成を心待ちにしている。
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